浜矩子
2012年10月24日
EUがノーベル平和賞を受賞した。「一体これは何で賞」。そう言いたくなった。そして、やがては、「どう考えてもそれは無いで賞」。この結論に達した。
ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が結成された時なら解る。ローマ条約締結時でも多いに解る。前者が1951年。この時、石炭と鉄鋼という基幹産業を独・仏・伊そしてベネルクス3国の共同管理下に置く体制が発足した。欧州統合に向けての初めの一歩が踏み出された時である。
後者は1957年。EEC(欧州経済共同体)とEURATOM(欧州原子力共同体)が設立されて、統合構想のスコープが大きく広がった。このいずれのタイミングでも、戦後欧州の政治主導者たちへのノーベル平和賞の授与には強い妥当性があったと思う。あるいは独仏ニ国への授与でも良かったかもしれない。
いずれにせよ、この二つの時点のどちらかであれば、欧州人たちの決断は間違いなく賞賛に値したと思う。
二度と再び、欧州の地を戦禍にさらさない。欧州人同士の殺し合いを決して再発させない。その強い決意が、恩讐を超えた独仏枢軸の形成を可能にした。当時における大量破壊兵器の基本素材だった石炭と鉄鋼を、国境を越えた共同管理の対象とする仕組みの実現につながった。そして、ローマ条約の締結をもたらした。
昨日の敵を今日の友として抱擁する。その勇気ある行動が、欧州戦の爪痕がまだまだ生々しい中で取られたのである。そのことに対して、平和への貢献を認知する栄誉の大賞が贈られる。そのような展開は、誰もが納得するものだったろう。
だが、あの時から既に半世紀以上の歳月が経った今、この平和賞の授与はいかにも時代錯誤だ。いくら何でも無理がある。ユーロ圏の財政金融通貨危機は深まる一方だ。
その解決に向けて、統合欧州らしい一致団結の足取りがどこにみられるか。求心力維持のために、耐え難きに耐える熱情がどこから伝わって来るか。同志的結束がどれほどみて取れるか。そのようなものは、どこにも見当たらない。誰もが、自分のことしか考えていない。小異を抑えて大同をつかみ取ろうとする気概は、どこに行ったのか。
どうひいき目にみても、
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