2012年10月25日
日本国憲法の前文は、主権は国民に存することを高らかに宣言している。
しかし、日本の実態は民主主義国なのか、国民は主権者として地位を本当に享受しているのか?
今年の春以降では、大阪市、東京都、静岡県で、市民の原発再稼働の是非を問う住民投票をするようにとの請願があった。しかし、大阪市議会、東京都議会、静岡県議会は、共に請願を棄却した。
しかし、一国民の立場では、原発再稼働反対デモの中にいた30歳過ぎの子連れの御婦人が、テレビ・インタビューの中で指摘していたように、衆議院・参議院などの選挙で投票するか、デモに参加して自らの体を運ぶことで反対の意思を表明する以外にない。与党が、選挙での公約を平然と破っても、次の選挙まで、有権者は忍耐強く待たざるを得ないのが実状である。
国政選挙の前に、破滅的な大地震が再来したら? 福島第1原発事故の内実を良く理解している人々は、表現のしようがない焦燥感にとらわれていよう。
イタリアでも、昨年6月に実施された国民投票で、脱原発が決まったではないのか?
ドイツでも、メルケル政権は、福島第1原発事故の惨状と、ドイツ国民の民意の変化に応じて、それまでの原発推進の方針を180度転換して、昨年6月上旬には、10年以内に原発を全廃する政策を、素早く法律として成立させたではないか?
ここで、民主主義の本来の形を考えてみることが肝要である。
要するに、有権者の全員が、意思決定に直接に参画する直接民主主義の仕組みである。
多くの日本人にとっては、歴史教育の中で教えられる古代ギリシャ都市での市民全員が参画する直接民主主義が、典型であろう。
しかし、日本でも、村落単位では、『寄合』という形の直接民主主義があった事は、ほとんど語られないようになっている。徳川時代でも、幕府・藩などの権力機構は、徴税はするが、村落単位の自治・直接民主主義には介入しないのが原則であった。
江戸時代、明治初期に頻発した『百姓一揆』も、
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