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中央銀行の独立より金融政策のルール化こそ望ましい

原田泰

原田泰 原田泰(早稲田大学教授)

 安倍晋三自民党総裁の金融緩和論に反対する議論が盛んになっている。私は、反対論の多くは間違いであると考えるが、ここでは安倍総裁の金融緩和論が日銀の独立性を侵しているからいけないという論点に絞って議論したい。

なぜ中央銀行が独立が必要なのか

 なぜ中央銀行の独立が必要なのだろうか。私は、日本の議論のレベルを下げている大きな要因として、理由のない「そうでなくてはならない」論があると思う。戦前では、「統帥権の独立」論であり、最近では、「日銀の独立」論である。このような議論は、知性を低下させる。なぜ独立していなければならないかから議論を始めなければならない。

 ミルトン・フリードマンは、1930年代の大恐慌がアメリカの中央銀行である連邦準備制度の金融政策の失敗で起きたことを示した後に、以下のように書く。

 「ごく少数の人間にあまりに多くの権限と裁量を与え、その失敗が、重大な結果を引き起こす可能性があるとしたら、それは悪い制度である。これが、中央銀行の『独立性』に私が反対する政治上の理由である。

 加えて、自由より確実性を重んじる立場からみても悪い制度である。責任は分散させながら権力だけが少数の人間に集中し、その人たちの知識や能力に高度な政策判断が委ねられる制度では、とにかく失敗は避けられないからだ。これが中央銀行の『独立性』に私が反対する現実的な理由である。クレマンソー(第1次世界大戦中のフランスの首相)はかつて『戦争は将軍に任せておくには重大すぎる』と言った。この言葉を借りるなら、通貨は中央銀行に任せておくには重大すぎる」(ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』111-2頁、日経BP社、2008年)

 フリードマンの指摘する連邦準備制度の失敗と同じようなことを、日銀も繰り返してきた。リーマン・ショック後に世界中の中央銀行が金融を緩和したのに、日銀は何もしなかった。それが円高をもたらし、日本の輸出企業に大打撃を与えた。円レートがリーマン・ショック前の120円であったなら、日本企業の経営状況はまったく異なる状況になっていただろう。統帥権の独立に反対する人は、中央銀行の独立にも反対すべきである。

日本銀行は金融政策の作用について何も知らない

 少なからぬ人々が、

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