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民主党がたどる日本社会党の運命(上)

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 2012年の政治は、民主党の総選挙惨敗と自民党の政権復帰で終わった。民主党は前回の選挙で獲得した308議席を大幅に下回る57議席の獲得にとどまった。他方、自民党は、風も吹かないのに大勝し、3年ぶりに政権を奪回した。

 戦後政治史を聞きかじった者として、デジャヴュ(既視感―一度も体験したことがないのに、どこかで体験したことのように感じる心理)を感じた。思い出したのは、1947年現行憲法下初の衆議院総選挙で第一党となった日本社会党を中心とした片山哲・連立内閣、その後の社会党の運命である。

 社会党は、戦後初の総選挙で獲得した93議席を50議席上回る143議席をこの時の選挙で獲得し、吉田内閣に代わり、片山内閣が誕生した。しかし、次の選挙では連立政権の与党だった社会党は48議席に激減する大敗を喫した。

 一方、吉田茂を党首とする民主自由党は全466議席中269議席の単独過半数を獲得し、保守合同を経て自民党に連なる保守長期政権が始まることとなった。以降1993年の自民党政権崩壊まで、社会党は万年野党と化し、約半世紀にわたり政権に関わることはできなかった。

 デジャヴュを感じたのは、今日の民主党と片山内閣・社会党との重大な符合である。

 第一に、党内の大きな路線対立である。

 民主党は、消費税やTPPという重要なイッシューを巡り、野田佳彦総理や岡田克也副総理など改革を志向する執行部グループと、あくまでも政権維持のため選挙で勝てるかどうかを重視する小沢一郎元代表などの反主流グループとの対立が決定的となり、分裂を経た後大敗を喫した。そもそも民主党は、自民党、民社党や社会党の出身議員からなる混成部隊だった。

 ただし、それでも自民党に対抗して、行政改革や地方分権など改革を志向する政党だったのが、2003年小沢氏の自由党との合流後政策よりも政権奪取を至上命題とする色が加わった。この二つの対立が民主党大敗の原因となったと言ってよいだろう。

 一方、日本社会党は、議会制民主主義の下で大衆政党を目指そうとする右派と議会制民主主義を否定し階級闘争を志向する左派との連合・合従体だった。片山内閣には左派から誰一人として入閣しなかった。右派の官房長官・西尾末広が拒んだからである。後に左派は党内野党を宣言するに至る。

 片山内閣総辞職の直接のきっかけとなったのは、

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