2013年01月17日
昨年末、大阪市立桜宮高校バスケットボール部の主将であった2年生の男子生徒が自殺した。男子生徒は、バスケ部顧問の男性教諭から繰り返し殴られていたことが判明し、マスコミは、教諭の体罰と自殺の関係を報道している。
まず、私が指摘しておきたいのは、これは体罰ではないということだ。禁止された行動をした生徒を殴るのは体罰であるが、生徒はバスケで失敗したかもしれないが、禁止行動をした訳ではない。体罰がいけないというよりも、単なる暴力である。正当防衛と他人を救うため以外に人を殴るのは犯罪である。犯罪にまでいかない場合もいじめである。
運動部のキャプテンであるから、いじめにあうような弱い子ではなかっただろう。しかし、教師のいじめと犯罪には立ち向かうことができなかった。バスケのコーチは、なぜそれほどの力を持っているのだろうか。
■バスケコーチの力の源泉
第1は学校での地位である。インターハイに出場させることが学校として大事で、そのコーチの暴力に校長たりとも口出しできない。殴って怪我をさせて警察沙汰になるのは稀である。まして自殺するなどめったに起きない。また、起きても大した責任を取らなくてもよいようだ。コーチの名前も公表されていないのだから、そうだろう。
当事者に大した罰が与えられないなら、黙認していただけの校長や教育委員会も大した責任を取らなくて良いことになる。校長としては、コーチのすることを黙認していた方が楽である。私が同じ立場にあっても、そうしていたかもしれない。校長の行動は、確率的には合理的である。校長の判断が教育者として失格だと批判しても仕方がない。人間はその程度のものであると認識して制度を考えなければならない。
力の源泉の第2は、スポーツのうまい高校生にも怖いと思わせる肉体的力である。しかし、殴られた体育の教師を、卒業の時に体育館の裏で、集団で殴ったという話はよく聞く。多少の怪我をさせられただけなら、教師は黙っている。殴られたということが公にされれば、力の弱さを示して、以後、力を失うからだ。旧日本軍が、ノモンハンでの敗北をひた隠しにしたのと同じである。
暴力はいけないが、暴力をふるったものは公共の力で反撃されるというルールがなければ社会の安全は保たれない。学校の中にも、この基本的なルールが確立されていなければならない。警察と自衛隊はどこにあっても必須の組織である。
第3は、
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