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[3]ノンフィクション作家・角幡唯介との対話(中)

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 ――その後、北埼玉支局(埼玉県熊谷市)に異動されたんですね。

角幡唯介氏

 角幡 山があるところがいいと思って、次の勤務先も「山のあるところ」という希望を出していました。

当時のさいたま総局では総局長が「長期連載できる企画を考えろ」と管内の記者に号令をかけて、それで僕が荒川を題材に「荒川新時代」というタイトルの連載を30回ほどしました。貧酸素化が進んだ荒川のヘドロの中をタンクを背負って潜水しましたよ。

 

 ――入社して4年生程度で単独で30回も長めの原稿を連載できる若手記者なんて、いまや「希少動物」でしょう。本社のベテランでもこなせませんよ。

 

 角幡 なんか、そうみたいで……。僕のあとは別の記者がちょっとやったのですが、それほど長期間ではなくて、そのあとは誰もやる人がいなかったらしいんです。「何でも自由にやっていい」と言われると、何をやったらいいのか思いつかない、そういう人が少なくないかもしれませんね。僕は結構やりたいことを見つけて取材していたタイプなので、「自由にやっていい」と言われるとやってしまうんですね。

 

 ――そんなに好きな仕事ができたのならば、朝日を辞めなければよかったじゃないですか。別に朝日に不満をもっていたのではないのでしょう。

 

 角幡 辞めたのは、チベットの秘境のツアンポー峡谷に挑みたかったのと、新聞記事の体裁や書き方に飽き足らなかったからでした。自分が体験したことを長い物語に書きたかったのです。新聞の1行12文字づめで60~80行(720文字~960文字)といった原稿スタイルでは、凝った表現ができないし、自由な書き方ができない。もっと自由に書いてみたかったんです。

 

 朝日新聞社を辞めた最後の年の年収が998万円で、収入的には申し分ないほどですね。家賃4万円のアパートに住んでいて家賃補助が2万円くらいあったし、ガソリン代はほとんど会社が負担してくれるし、いいことばかりでした。辞める2年くらい前から「辞めよう」と思っていたので、本社の希望配属先も適当なことしか書いていませんでした。辞めようと思ってからの2年間で800万円ほど貯めることができて。

 

 会社への不平不満はまったくなく、感謝するしかないですね。退職金までくれましたし。それに連載をやっていたことが、本を書くときの書き方の構成のテクニックに役立ったんですよね。5年間の勤務中に荒川の連載、雪庇事故、黒部川の排砂、熊谷市の養蚕業の盛衰史などいろんな連載をやりまして。ストレートニュースと違って120行(1440文字)くらいでストーリーを作るので、本を書くときの構成の作り方では役立ちましたね。

 

 ――しかし、連載記事といっても制約があるし、新聞の短い定型化した記事と長編のノンフィクションでは、そうとう違いがあるでしょう。少なくとも新聞の連載記事をまとめれば本になるなんていうのは幻想で、そんな錯覚は通用しない。長編には長編なりの書き方や技術が必要と思いますが、どうやって長編のノンフィクションの執筆方法を会得したのですか。

 

 角幡 一番苦労したのは文体でしたね。新聞は1行が12文字なので、短いぶつ切りの文章の連続なんです。

 

 長編のノンフィクションを書こうと、いざパソコンでワープロソフトに向かうと、それが1行40字でづめで。新聞のぶつ切りの原稿の書き方では全然ダメだとすぐに気づかされました。

 

 支局の同僚記者が「だらだら長く書けば本が書ける」みたいなことを言っていましたが、そういう話を聞くと「全然、わかってないな」と思いますよ。

 

 大鹿さんは、どうやって?

 

 ――十数年前の経済部の記者時代も、発表ものに依存したニュース原稿よりも長文のインサイドストーリーや連載記事を書くのが好きだったのです。それで、そういうのをもっと書きたいと思い、希望して週刊誌のアエラに異動しました。アエラでは毎週2~4ページを書いていました。その延長線上にノンフィクションの執筆があったので、新聞からいきなり長編ノンフィクションではなかった。間にアエラがあったので割とスムーズに長文が書けるようになりました。

 

 ところで『川の吐息、海のため息』はまだ新聞記事の残滓のあるような書き方ですが、『空白の5マイル』以降ではまったく払拭されています。どうやって長足の進歩を遂げたんですか?

 

 角幡 一番大きな違いは、構成力と思いますね。『雪男は向こうからやって来た』や『空白の5マイル』は、本を書くことしかやることがない日々を送っていたので、一日10時間以上も執筆にあてることができました。僕は何べんも推敲するんです。ゲラになる前の原稿段階で10回ぐらい。ゲラになった後も2回くらいは。

 

 ――やっていて飽きるでしょう? 「もうこのフレーズ、読みたくない」とか思わない?

 

 角幡 ハハハ(笑)。「もう読みたくない」、「読み飽きた」、「これのどこがおもしろいんだ」と自分がやっていることを疑問に思えてしまうくらい、読み直します。

 

 ――待遇のいい朝日を辞めてまで、チベットのツアンポー峡谷を探検してみたかったという動機はなんですか。

 

 角幡 朝日新聞社に就職が内定していた2002年から03年にかけて、自分にとっては

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