2013年07月26日
ホンダは米ゼネラル・モーターズ(GM)と、燃料電池車(FCV・ホンダはFCEVと呼ぶ)の技術開発で提携した。2020年頃の実用化をメドに、燃料電池と水素貯蔵システムを共同開発していく。
どことも与せず技術の独自路線をこれからも歩んでいくと見られたのに、なぜ、ホンダは方針転換に踏み切ったのか。
「飛行機」と「F1」。最後発で自動車に参入したホンダが、優秀なエンジニアを採用するための材料は、この二つだった。
「飛行機をやらせてくれるというから入社したのに、自動車の設計しかやらせてもらえなかった。挙げ句には、経営までやらされた」(ホンダの元首脳)という声もある。いまでこそビジネスジェット機「ホンダジェット」を展開中だが、東大や京大の優秀な学生が集まる航空機学科のリクルーティングに「飛行機」とホンダは訴えてきた。
一方、ホンダが参入と撤退とを繰り返してきたのがF1。やはり優秀な工学部学生を、F1で大量に釣った(採用した)。この結果、第一期F1の撤退後の1972年、排ガス規制法である米マスキー法をクリアーするCVCCエンジンを開発し、「世界のホンダ」へと飛躍する。
ただし、飛行機もF1も、ともに液体燃料を使った内燃機関の技術がベース。脱炭素社会を実現させるためには、自動車を電動化させていく必要に迫られていく。つまり、化石燃料から電気へとエネルギーを変えていくわけで、ハイブリッド車(HV)、電気自動車(EV)、そしてFCVが、求められていった。
第二期F1から撤退した後の93年、F1に関わっていたエンジニア達はHV開発に投入された。「世界最速の車づくり」から「環境性能が高い車づくり」へと、ものづくりの内容が大きく変わる。
ちょうど、ニッケル水素電池やリチウムイオン電池が、日本発で相次ぎ開発されてた時期だった。ホンダは当初、エンジンを発電にだけ使いEV走行させるタイプのHV開発を目指す。外部充電するプラグインも視野に入れていたフシがあった。
だが、この方式はすぐに頓挫。94年には、あくまでエンジンを動力に、電気モーターがアシストするタイプに切り替えてしまう。理想よりも現実路線を選択した結果だったとも言えよう。
シビックHVなどに続き、09年には満を持して戦略車種「インサイト」を投入。ところが、直後にトヨタが投入した新型「プリウス」に
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