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[11]競争と成長だけで、全国民にとって暮らしやすい社会が作れるのか?

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

 年初には、当年の景気動向、株価、外国為替レートなどの金融資本市場の見通しを語るのが恒例のようである。ここは、少し趣向を変えて、どうしたら、全国民が、ノンビリ、安心して暮らせる社会が実現できるかのヒントを考えてみよう。

 昨今、特に、現在の安倍政権が発足してから、その経済政策がアベノミクスとして喧伝されるようになって以来、「経済成長」がなければ、全国民が、ノンビリ、安心して暮らせる社会の実現など、とても無理だとの印象が、国民に向けてふりまかれているように感じるのは筆者だけであろうか?

 果たして、本当にそうなのか?

 イギリスで産業革命が始まり、それが世界中に順次に伝播し出してから200年余りが経過するが、私たちの社会では、依然として農業社会の感覚のまま、その後の産業社会や、有形の財だけではなく無形のサービスの生産が主体となったポスト産業社会が語られているようである。

 世界史を振り返れば、現在の欧米先進経済でも、かつての農業が主体の社会であった時代には、圧倒的に大多数の人口が、農業などの食料生産に従事していた。

 日本でも少し具体的にみれば、明治維新直後の明治5年(1871年)に編成された『壬申戸籍』などによると、全国人口3311万人の内で、約80%が農民、約10%が工商、約6%は士卒(士・足軽など)、約1%が僧・尼・神官、その他が約3%であったという。

 この農業人口の比率は、最近の先進経済国では、全人口の1%~4%程度にまで低下している。

 かつては、全人口の約8割もが、食料生産に直接に従事しないと、残り2割の人口を養えなかった。しかし、現在の先進経済国では、全人口の数%で、残りの96%以上の人口を養えるまでに生産性が高くなっている。

 換言すれば、かつての農民の大多数は、農業生産活動からあぶれてしまったのである。

 ところで、本シリーズの第1回(2013年10月22日)『自由な選択は可能だ』でも述べたように、最近の四半世紀余りの日本は、1人当たりの国内総生産の水準は、米欧先進経済国と比べて、全く遜色がない、全体としては非常に豊かな社会である。

 しかし、生産活動からあぶれた個人は、蓄えも所得もなければ、食料品は商店に溢れていても、買うことはできない。

 全体としては豊穣な社会の中で、餓死者が現れる残酷な構図である。

 昨今のテクノロジーの進歩や、あらゆる領域におけるイノベーションなどによって、今日では同じようなことが、農業だけではなく、全ての産業部門で起きているのだ。

拡大
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 競争が促進され、技術革新が進展して、労働生産性が高まれば、余剰労働力人口が一層と多く発生する。

 余剰労働力とされた人々が、他の仕事に就け、従来と同じ水準の所得を上げる機会があれば問題はない。

 しかし、現実には、転職・転業に成功するまでには時間が掛かる。しかも、

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筆者

齋藤進

齋藤進(さいとう・すすむ) 三極経済研究所代表取締役

(株)三極経済研究所・代表取締役。1950年静岡県生まれ。73年京都大学経済学部卒、73年より、国際関係研究所客員研究員(台北)、76年ミシガン大学大学院経済学博士課程修了。フォード財団特別研究員、ウォールストリートで、金融機関、機関投資家、国際機関向けの独立経済コンサルタント業、クレディ・スイス銀行(東京)経済調査部長兼チーフ・エコノミストなどを経て、1990年より現職。「平成不況」の名づけ親として、多くの経済政策論文・論説を発表。著書に『平成不況脱出』(ダイヤモンド社)、『平成金配り徳政令』(講談社)など。世界の100人のTop Political Columnistにも選ばれている。 【2016年8月WEBRONZA退任】

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