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農協改革の視点 JA(農協)にメスは入るか

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 農協改革が成長戦略のアジェンダに浮上している。6月頃までに、改革がまとめられるとされている。しかし、1955年には、総理を目指していた河野一郎農林大臣が、農協から金融事業を分離しようとしたが、果たせなかった。小泉内閣の下でも、規制改革会議で同じような分離論が検討されたが、その報告が取りまとめられる前に、自民党農林族が官邸に押し掛けて、これを潰してしまった。戦後最大の圧力団体農協を改革することは、難題である。

青森県の稲刈りの様子。集落営農では、農地の集約や農業機械の共有で効率化が図られている=上小国ファーム提供 青森県内の稲刈りの様子。集落営農では、農地の集約や農業機械の共有で効率化が図られている=上小国ファーム提供

農協法の二つのうち一つの目的は達成された

 1947年、終戦直後に作られた農業協同組合(農協)法は、第一条で、農協の目的を「農業者の協同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進および農業者の経済的社会的地位の向上を図」ることだと定めた。

 しかし、この法律の目的は現在も妥当なのだろうか。戦前、農村や農業という言葉から人々は“貧しさ”を連想した。小作人は収穫したコメの半分近くを地主に小作料として納めさせられた。“おしん”のような人はたくさんいた。後に民俗学者となった柳田國男をはじめ、戦前の農林省には、農村の貧困を解決しようとして、多くの人材が集まった。

 しかし、戦後の経済復興、高度成長を経て、「農業者の経済的社会的地位の向上」という目的は達成された。1965年以降、農家の所得は勤労者世帯の収入を上回って推移するようになった。農家は農地改革でもらった農地を宅地などへ転用することで、莫大な利益を得た。農村や農業から貧困は消えた。農業機械が普及し、農作業のつらさ、厳しさもなくなった。今では、サラリーマンが土日に田植え機やトラクターなどを動かすだけで、簡単にコメは作れるようになった。腰の曲がったお年寄りは、農村でも見かけなくなった。“おしん”はもういない。今では、「農業者の経済的社会的地位の向上」を達成するために、農協組織は必要ではない。

農協が農協法のもう一つの目的達成を妨害した

 農協法が目的に掲げたもう一つの「農業生産力の増進」という目的は未だ達成されていない。農協法が作られてから、既に70年近い年月が経過したにもかかわらず、達成されていないことは、「農業者の協同組織の発達を促進すること」により、「農業生産力の増進を図る」ことは、効果がなかったことを意味している。

 「農業生産力の増進」は達成されなかったが、その手段として農協法の目的に掲げられた「農業者の協同組織の発達を促進すること」は、十分すぎるほど達成された。JA農協組織は預金量第二位のメガバンクに発展した。農協の保険事業も業界第一位の日本生命に肉薄している。農業が衰退するにもかかわらす、農協は大きく発展した。しかも、このような巨大な独占事業体が、協同組合という理由で独禁法の適用を除外されている。

 「農業者の協同組織の発達を促進すること」は「農業生産力の増進」につながらなかった。というより、それを妨げた。農協が主導した、高米価・減反政策によって、圧倒的多数の兼業・片手間農家が存続し、農業所得をはるかに上回る兼業所得や農地の宅地等への転用利益が農協口座に預金された。こうして、農協は、農業だけで生きようとする農家らしい企業的農家の規模拡大を妨げ、「農業生産力の増進」を阻害した。それが、農協組織の利益となったからである。農協の発展や繁栄は、農業の衰退や犠牲の上に築かれた。

JA(農協)は必要なのか?

 農協法が掲げた二つの目的の一つは既に達成された。もう一つの目的を達成するうえで、「農業者の協同組織」、つまり農協の発達を促進することは、有害だった。となれば、農協の存在意義はもうなくなったということではないだろうか。「農業者の協同組織」が農業の発展に必要だとしても、

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