2014年02月20日
山口県のJR岩国駅から1両のワンマン鉄道に30分乗り、さらに車で20分。獺越(おそごえ)という谷間(たにあい)の集落に酒蔵が並ぶ。昨年5月、東京・京橋に日本酒バー「獺祭(だっさい)Bar23」を開設した蔵元の旭酒造。戦後、蔵の半径5キロ圏には3千人がいたが、いまは300人に減った。3代目の桜井博志社長(63)は「典型的な過疎地域ですよ」と言う。
旭酒造は相当変わっている酒蔵だ。酒米の最高峰「山田錦」を5割以上削って雑味をのぞく純米大吟醸にこだわる。杜氏(とうじ)という職人を置かず、社員のデータ管理によって酒造りができる設備を整え、冬だけではなく、四季を通して獺祭を造る。
山口県出身者の口コミから、首都圏を中心に支持が広がり、2013年の売上高は前年比1・5倍の39億円。10年余で10倍に伸びた。従業員は100人を超す。東京に続き、今夏にはパリに獺祭を飲んで買える店を開く。ニューヨーク、ロンドンにも開設する予定だ。
地方に拠点を置き、市場縮小が止まらない日本酒。獺祭が支持を得たのはなぜか。
「地方が地方だけで完結する時代は終わった」と桜井氏はいう。大手企業の工場を誘致し、地方は雇用を確保した。だが、工場の海外移転の勢いは多少の円安では止めようがない。市場縮小が続く地方での競争は厳しく、旭酒造も岩国では4番手の酒蔵だった。「同じ汗をかくなら、市場の大きい東京だと思った。海外進出も同じ」と明かす。
同じ山口出身で、ユニクロを起こした柳井正氏も「東京からニューヨークに進出するより、山口から東京の方が遠かった」と語ったことがある。東京に一度出てしまえば、世界も近づく。
桜井氏は「獺祭は富裕層をねらう。ニューヨーク、パリ、上海。彼らが日本酒に求めるものは同じだ。顧客層を絞れば、中小企業も対応できる」と明かす。
ただ、桜井氏の気がかりは、地方経営者の事業意欲だ。「売上高の微減というのは意外と心地いい。うちのおやじもそうだった」。設備投資や材料価格もそう変わらない。雇用維持できれば、昨日と変わらない明日がくる。
「私はそうはできなかった。地ビールのレストラン経営に失敗。倒産の瀬戸際も経験した。生き様を問われ、挑戦するしかなかった」
地場産業が雇用を生み出し、事業を継続できる地域とはどんな姿なのか。「縮小均衡でもいいという考えを捨てないと。15年前のうちと同じ規模の、年商2億円ぐらいの堅実な企業は地方にぽつぽつある。そうした企業が大きく育ち、1社に依存しない地域経済になることが大事では」。桜井氏のきれいごとではない答えだ。
※この記事は朝日新聞DIGITALでもお読みいただけます
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください