2014年04月15日
STAP細胞騒動は、現在の日本について、ほとんど無限に様々なことを考えさせる。「STAP細胞騒動をエコノミストの立場から見る―金融政策も人の命を救う―」(2014年04月02日)に続いて、私がSTAP細胞について書くのは2回目になる。
この騒動は、日本のサラリーマンが劣化したから起きたのだと思う。企業で、こんなことが起きるとは考えられない。なぜなら、企業なら、いくら画期的な発見でも、安定的に生産できなければ意味がないからだ。つまり、世紀の大発見と騒ぐ前に、本当に作れるのかどうか、きちんと確かめたはずだからだ。また、どうやって生産方法のノウハウを守るかも考えたはずだ。
小保方晴子氏のコピペ博士論文、画像すり替え、画像修正、不十分な調査ノートなどが、大問題になっているが、すべてはSTAP細胞を作れないということから始まっている。本当に作れるのかを検証するのは、発表する前に別の研究員に作ってもらうのが確実だ。
それが時間のかかることなら、発表前に、研究ノートくらい見るだろう。週刊誌報道によると、2冊のうち1冊は落書き帳みたいだったという(少なくとも、本人以外はどういう実験をしたのか追跡できないと本人も認めている)。そんなノートを見れば、普通は本当にできたのかを疑う。そもそも、一人しか作れないのでは生産できない。生産できなければ意味がない。
研究であれば安定的に生産できなくても良いかもしれないが、これだけ画期的な論文であれば、誰しもが再現実験をするだろう。再現できなければ、大問題になることくらいわかりそうなものだ。普通に考えれば、そうなることが分かるだろうに、ヘンなことをしてしまう人がエリートの中に結構多いということが小保方騒動の本質だ。
サラリーマンとは、当然そうなることの予想がついて、大組織がヘンなところに行かないように地道に働いている人のことである。
ところが、いつのころか、地道な人を評価しない風潮が出てきた。キャッチアップを終えた日本に必要なのは独創性で、地道にキャッチアップしても意味がないという。だから、
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