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[27]日本国憲法と国家安全保障・・・日本は、専守防衛に徹すれば、中立国として存立可能

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

 今日、4月29日は『昭和の日』、本来は昭和天皇の『天皇誕生日』、週末の5月3日は現行の日本国憲法が1947年(昭和22年)5月3日に施行されたことを祝う『憲法記念日』である。

 1945年の大敗戦を見た昭和は、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いに、倭国が唐・新羅(しらぎ)の連合軍に大敗して以来では、初めて亡国の淵を覗いた時代であった。

 上記の両記念日に挟まれ、『集団的自衛権』の是非の議論で喧しい現在の日本にとっては、長期の歴史的な視点に立って、日本が取り得る国策の選択肢を、冷静に考える時期であろう。

 さて、倭国の白村江での大敗戦は、隋書『俀国伝(たいこくでん)』に見えるように、小国に分立していた倭国が、旧唐書倭国伝、日本伝に見えるように、新興の日本国に取って替わられた契機になったと考えられる。新興の『日本国』は、『日本書紀』を編纂して、その由緒の古さと、唐に対する独立を、日本の新たな『正史』を創造して、宣伝・強調せざるを得なかったと言えよう。

 要するに、新興大国・唐と、朝鮮半島を統一した新羅の軍事的な脅威に対抗するために、地方分権的な緩い政治連合体であった倭国が、中央集権的な日本国に再編されたのである。

 その後の1200年余りの日本は、産業革命を経て軍事的に強大になった欧米勢力が東アジアに登場するまでは、大陸から離れた海東に位置する地政学的な恩恵を、十分以上に享受できた。例外は、蒙古人の元朝の来寇、日本側から大陸に押し掛けた豊臣秀吉政権時代の朝鮮遠征期に過ぎなかった。

 幕末・明治維新期は、倭国のように緩い政治連合体であった徳川政権・幕藩体制が、中央集権の『大日本帝国』に再編される過程であった。欧米勢力という新たな脅威の中で、独立性を維持するためであったと評価される。

 しかし、白村江の敗戦以降の『日本国』と、明治維新で成立した『大日本帝国』では、国策に決定的な違いがあった。大日本帝国は、

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筆者

齋藤進

齋藤進(さいとう・すすむ) 三極経済研究所代表取締役

(株)三極経済研究所・代表取締役。1950年静岡県生まれ。73年京都大学経済学部卒、73年より、国際関係研究所客員研究員(台北)、76年ミシガン大学大学院経済学博士課程修了。フォード財団特別研究員、ウォールストリートで、金融機関、機関投資家、国際機関向けの独立経済コンサルタント業、クレディ・スイス銀行(東京)経済調査部長兼チーフ・エコノミストなどを経て、1990年より現職。「平成不況」の名づけ親として、多くの経済政策論文・論説を発表。著書に『平成不況脱出』(ダイヤモンド社)、『平成金配り徳政令』(講談社)など。世界の100人のTop Political Columnistにも選ばれている。 【2016年8月WEBRONZA退任】

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