2014年05月27日
日本政府の経済財政諮問会議の下に設けられた「選択する未来」委員会は5月13日、急激な人口減少に対応するため、「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」との政府目標を盛り込んだ中間報告をまとめた。
これは、2010年の国勢調査結果に基づき、国立社会保障・人口問題研究所が、2012年1月に公表した日本の将来人口推計で、2060年には、8674万人まで減少すると予測したことへの対応の一つでる。この推計は、出生率、死亡率の仮定が、低位から高位の中間にあるとして、はじき出されたものである。
この総人口推計の途中経過では、2030年には1億1662万人、2040年には1億0728万人、2050年には9708万人になると予測されている。
これらの予測数字は、出生率、死亡率などの仮定の置き方で、大きく変わり得るのは当然である。出生率の低下傾向、死亡率の上昇傾向の双方を高位に取れば、日本の総人口の減少は、時間的に大きく前倒しになり得る。50年後のことと思っていたのが、20年から30年先には現実になることも有り得るからである。
特に、2011年3月に起きた福島第1原発事故による放射能汚染の影響は、国立社会保障・人口問題研究所の予測では、十分に考慮されているかは不明である。1986年にチェルノブイリ原発事故を起こしたウクライナの人口動態を参考にすれば、同研究所予測よりもはるかに速いペースで、日本に総人口が減少することも十分に考えられる。
問題は、日本の総人口が減少するのは、超長期の日本社会にとって、本当に不適切なことか否かであろう。
このような設問に関しては、論者の価値観により、様々な回答が有りえよう。
日本の歴史を振り返えれば、日本の総人口は、様々な推計値で若干の幅があるが、1600年の関ケ原の戦いの頃には、約1千5百万人、徳川幕府初期の百年の平和で、約3千万人へと倍増した後は、明治初年まで、3千万人前後の『静止人口』で推移したと見られている。明治初年期から最近までに、日本の総人口は4倍以上に膨張したわけであった。
江戸時代の後半以降から、明治維新を過ぎても、戦後の高度経済成長期まで、日本の『人口問題』とは、『人口過剰』で、『人口減少・過少』ではなかった。自給自足的な農林漁業の下での食料供給量が、日本列島内で生存可能な人口の規模を大きく規定して来たからであった。
明治維新以降では、耕地面積の拡大、稲、麦などの品種改良、肥料投入量の増加などで単位収量、総収量を増やし、朝鮮、台湾などからの拡大した領土からの食料移入の増大などで、人口増に応じた食料需要を辛うじて賄っていたのが実状であった。
したがって、1人当たりの食料供給量は少なく、人口の大多数の栄養状態も決して良くなかったのが、
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