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「自分たちのサッカー」は必要ない

原田泰 原田泰(早稲田大学教授)

「自分たちのサッカー」という美学

 ブラジル大会での日本サッカーは予選リーグで1勝もできず惨敗で終わった。勝ち負けは仕方がないが、気になるのは「自分たちのサッカー」という言葉だ。

コロンビアに敗れ、肩を落とす本田(4)ら日本の選手たち=2014年6月24日、ブラジル・クイアバ=上田潤撮影 拡大コロンビアに敗れ、肩を落とす本田(4)ら日本の選手たち=2014年6月24日、ブラジル・クイアバ=上田潤撮影

 試合の目的は勝つことで、自分たちのサッカーをすることではない。自分たちのサッカーとは、パスを回しながらチャンスを待ち、一気に攻めるスタイルのようである。

 確かに、こうできれば、ボールを取られず、攻めるときは一気だから、負けないだろう。しかし、相手も勝ちたいのだから、前のめりになっているときにボールを奪われれば一遍に危うくなる。危うくなるだけでなく、コロンビアには大量4点を献上した。

 もちろん、Jリーグの試合で、互いに自陣に引いて、ロングボールを放り込むような試合をしていたら、つまらないから客は来ない。お互いにパスを交換しながら攻める機会を狙っていれば、美しいサッカーとなり、客は喜ぶ。しかし、ワールドカップで、日本人は勝って欲しいのであって、美しいサッカーを見たいのではない。フォワードよりもゴールキーパーがヒーローになるのがワールドカップだ。

強豪国でもできない「自分たちのサッカー」

 ワールドカップで勝てば、Jリーグの観客も増え、選手も高額の移籍金でビッグクラブに行くチャンスができる。Jリーグの観客には「自分たちのサッカー」を見せるべきだが、ワールドカップでは必要がない。というか、無理である。パスサッカーの見本であるスペインもあっさり敗退してしまった。強豪国ですら、自分たちのサッカーなどできないのである。長友選手が、「どれだけ自分たちのサッカーをしても、やっぱり試合には勝てない」と言ったそうだが、その通りである。

 サッカーは点の入らないゲームである。予選リーグでは多少は点が入ったが、決勝トーナメントになると点が入らない。だからこそ大の男が抱き合って喜ぶシーンが様になる。何十点も入って抱き合っていたら気持ちが悪い。コートジボアールに先制した後、守ってカウンター狙いに徹していれば良かった。そのためのディフェンスが必要だ。アジア予選では、弱いチームでも引いて守られたら、日本が点を取るのは難しくなる。ワールドカップでは日本は逆の立場になればよい。

 コートジボワールに勝っていたら、ギリシャは10人で日本に勝たなければならず、前のめりのギリシャに日本が勝つチャンスができた。コロンビアに勝たなくても良くなれば、休養のために選手を代えた相手と余裕を持って試合ができ、引き分けに持ち込めるチャンスができた。コロンビアに勝つしかなくなったことで、日本はリスクをかけて攻めるしかなくなり、大量失点となった。サッカーで勝つために必要なのは、美学ではなく、確実さである。

 もちろん、前回南アフリカ大会では引いて守って16強まで行ったが、今度は「自分たちのサッカー」をして、攻め勝ってそれ以上を目指すと言えば人々は期待する。期待を盛り上げて視聴率を上げることが仕事のサッカー評論家はともかく、 ・・・ログインして読む
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筆者

原田泰

原田泰(はらだ・ゆたか) 原田泰(早稲田大学教授)

 早稲田大学教授。1974年東京大学卒業後、同年経済企画庁入庁、経済企画庁国民生活調査課長、同海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長などを経て、2012年4月から現職。「日本はなぜ貧しい人が多いのか」「世界経済 同時危機」(共著)「日本国の原則」(石橋湛山賞受賞)「デフレはなぜ怖いのか」「長期不況の理論と実証』(浜田宏一氏他共著)など、著書多数。政府の研究会にも多数参加。

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