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[40]長寿社会には、新たな労働形態が必要だ

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

 一部の経済マスコミで、日本経済での『人手不足』が喧伝されている。その背景を、年齢別人口の歴史的推移のデータから見ると、『人手不足論』の是非、それに関連した課題が浮かび上がる。

 日本の総人口は、17世紀初めの江戸時代初期には1500万人前後、その後の100年の平和で3000万人前後へと倍増、明治初年までは若干の上下変動を経ながらも、この水準前後で低迷していたと、各所で推計されている。

 日本の総人口は、初めての国勢調査(10年ごと実施)が実施された1920年(大正9年)には5596万人、1930年(昭和5年)には6445万人、1940年(昭和15年)には7193万人とされている。1945年の敗戦前は、出征兵士なども含めて、1944年に7400万人台に乗せたのが最高水準であったと推計されている。

 重要なのは、年齢別人口構成である。1920年、1940年の年齢別人口のグラフを眺めれば、容易に読み取れようが、生まれた子供が、20歳の成人から25歳前後に辿り着ける比率は、半分程度に過ぎなかった。各年齢の死亡率が高いので、70歳の『古稀(希)』を迎えられるのは、生まれて来た赤子の10人に1人前後に過ぎず、文字通りに稀(まれ)なことであったのだ。

 日本の総人口は、戦争による減少は一時的で、1948年(昭和23年)には戦前水準を大きく超える8000万人台に乗せていた。

 しかし、1947年から1949年(昭和22年から昭和24年)生まれの『団塊の世代』が世に出揃った1950年(昭和25年)でも、出産・人口再生産パターンは、戦前のように若年者の死亡率が高い前提で進行していた。

 戦後には、栄養・保健医療状態の大幅な改善で、死亡率が大きく低下し、産児制限の普及などで、戦後期当初に生まれた世代は、年齢別人口が突出して多く、結果的に団塊の世代となり、その子供世代は『団塊ジュニア世代』となったわけだ。

 団塊の世代の再生産時期には、以上の状況の変化や、石油危機時代の日本経済の高度成長から低位成長への変化などを反映してか、団塊ジュニア世代の規模は、団塊の世代に比べて小さくなっている。

 団塊ジュニア世代は、再生産年齢に達した1990年代半ば以降は、日本経済の低迷などを反映してか、再生産規模は更に大きく低下した。

 2013年10月時点では、団塊ジュニア世代では、202万人と最も人数が多い40歳の人口に比べて、その子供世代の20歳の人口は122万人、10歳の人口は112万人と、5割半から6割に過ぎない。

 この団塊ジュニア世代は、『就職氷河期』という言葉に象徴されるように、

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