まとめ:WEBRONZA編集部
2014年10月24日
竹信 ここからは深澤さんにお話していただきます。このトークセッションで、なぜ深澤さんに対談をお願いしたかというと、深澤さんが世に送り出した「草食男子」という言葉がものすごく変な形に歪められて使われてしまっているからです。
実は私、そのことを今回の家事ハラの問題が起きる前に知っていたんです。家事ハラの本の中にも、女性と自然体でつきあえる「草食男子」を軟弱男とする誤用の拡大が、男性のいい意味での変化を妨げたと書いています。なのに、その家事ハラの本について、同じようなことが、また起きた。それが私の怒りに油を注いだといいますか。深澤さんの「草食男子」のことがなければ、こんなには怒らなかったのかもしれません。
深澤 そうだったんですね。
竹信 そう、これほどまでには怒りを感じなかったかもしれませんね。では、深澤さんどうぞ。
深澤 はい。いま話に出た「草食男子」という言葉が「若者を褒めている言葉」だということをご存じの方ってどれぐらいいらっしゃいますか。手を挙げてみてください。やっぱり数人ですね。
私は竹信さんとは学生時代に知り合っているんですね。『私たちの就職手帖』というミニコミをやっていたんです。その創刊編集長が朝日新聞の記者で、竹信さんの同僚だったんです。
私は学生時代からジェンダーの問題に興味があったんですね。当時はバブル期でしたが、当時から「バブル的な価値観に乗り切れない男性」も実はたくさんいたわけです。女性だけではなく、そういう男性にも興味がありました。
そういうバブル的ではない男性と、私のようなバブル的なではない女たちが協調したほうがいいと思っていました。「男はみんな悪くて、女はみんな正義」というような考え方の女性もいますが、私はそうじゃないとずっと思っています。
女にもいろいろいるし、「女だからといって分かり合えるわけじゃない」と当時から思っていたんです。
竹信 それはリアリズムですね。
深澤 「男だから敵」というより、「味方になる男もいるな」という考え方をしていて、編集者になったときに、最初に出した企画のひとつが「セックスレス」。25年前だったので、セックスレスという言葉はまだ日本に来ていなかったんです。それで会議に「セックスレスな男たち」って出したら、団塊とか戦中派の部長とか取締役が……。
竹信 戦中派?
深澤 25年前ですから、60代くらいですね。
竹信 そうか、なるほど。
深澤 団塊の世代も当時は30~40代ですから。それで、私は当時から今の夫とつき合っていて、それは会社の人も知っていたんですけど、団塊や戦中派の部長たちが、「セックスレスってなんだい、深澤君、君の彼氏はセックスしててくれないのかい」と会議で言ったんですよ(苦笑)。
「セクハラ」という言葉がまだ広まり始めたばかりの時期だから、「セックスレスの男たち」という企画書を出したら、私が彼氏の相談していると思っているんですよ(笑)。
こっちはまじめに、「今アメリカではセックスがすべてである、ペニスがすべてであるという思想に疑問を持つ人々が現れている」というまじめな企画書を書いたんですけど、もう「セックスレスな男たち」のタイトルに部長たちは衝撃を受けて。
竹信 ぐーっといっちゃったわけね。
深澤 「深澤君、据え膳食わぬは男の恥といってね」と言われて(苦笑)。そこから部長たちのしょうもない武勇伝を延々聞かされて、しかも企画もその時は通らなかった。その後セックスレスという言葉が日本で流行ったときに、「深澤君は着目するのが早かったね」と言われたんですけどねえ(苦笑)。
もう一つ出した企画は「塾講師シンドローム」です。早稲田だったんですけど、バブル期ってフリーターも流行したので、「就職したくない」という男子も一部にいたんですね。
竹信 そうなんだ。
深澤 「就職するのが正しいかどうか分からない」と悩みながら、早稲田だけじゃなくて、いい大学を出ても就職しないで、塾講師になった男子もけっこういたんですね。
こういう男が増えていると思って、「有名大学を出ても、社会に疑問をもって塾講師になる男たちがいる」という企画書にしたんです。
すると、その部長たちの怒りに触れて。「俺たちが大学を出て、この会社と共にどうやって歩んできたと思っているのか」「フリーターなんて許さん」と、また怒られて(苦笑)。
唯一通った企画が、絶対通らないであろうと思ったゲイの企画で、『プライベート・ゲイ・ライフ』という本です。初めて日本の一般のゲイの方が出した本で、
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