「そねみ」批判を超え、報酬格差拡大の影響や所得税の累進課税の強化策を検討せよ
2014年12月02日
解散風の中、労働者派遣法改正案の今国会での成立は見送られた。派遣社員を3年ごとに取り替えさえすれば、企業は派遣労働を利用し続けることができるという今回の改正案については、一線の派遣社員たちからも、これでは生活できないとの戸惑いの声が上がっている。
このように、アベノミクスの「雇用改革」案には一般の働き手の生活実態から大きく乖離したものが目立つ。働き手の側からすると空想的としか思えない「雇用改革」案が、なぜこうも次々と繰り出されるのか。背景に見えてくるのは、企業トップやこれを取り巻くパワーエリート層の報酬の極端な高額化の動きだ。
この間、地方議会で「雇用改革」の柱といわれる解雇の金銭解決、新しい労働時間制度、限定正社員制度、労働者派遣法改定の四つに対し、「働くものの犠牲の上の成長戦略」として見直しを求める決議が上がり始めている。これら四つの「改革」に共通するのは、「雇われて働く人々は、賃金によって日々の生活を立てている」という現実への認識の欠如だ。
たとえば「解雇の金銭解決」は、裁判所が違法な解雇と認めたとき、これまでのような復職を前提にするのではなく、金銭による保障を命じる制度だ。だが、日本では今でも、いったん会社をやめると転職先探しは難しく、同一労働同一賃金が確立していないため賃金や労働条件が下がることが少なくない。
復職が原則とされてきたのは、そうした現実を踏まえてのことだ。しかも、復職を原則にできなくなると、働く側の交渉力は大きく低下し、解決金の額が下がる可能性が大きい。賃金が入ってこなくなると、よほどの蓄えがない限り生活は持ちこたえられない。失業手当が切れたあと、転職先が見つかるまでのつなぎとなる解決金までが下がるとなると生活保護が命綱となるが、この支給要件は厳格化されつつある。これでやっていけるだろうか。
「新しい労働時間制度」は「ホワイトカラーエグゼンプション」「残業代ゼロ制度」と呼ばれ、年収一千万円以上の働き手について労働基準法の一日八時間の労働時間の規制を外し、成果で評価するというものだ。
人は労働以外に家事・育児、睡眠といった生存に不可欠な仕事を抱えている。その歯止めになる規制がなくなれば、長時間労働に対抗する根拠が失われてしまう。何時間働いても「成果が上がらないから」と賃金が増えず、過労死も増えかねない。加えて一千万円以上という条件が下げられていけば、
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