過去の誤った成功イメージからの脱却を
2015年01月05日
資本主義の行き詰まりがあちこちで語られ始めている。「新しいフロンティアの創造による成長」に限界が見え、投資先を失ったカネは投機に回り、その結果、過去に蓄積した資本ばかりが肥大を続け、働き手の賃金所得は低迷する。資本と所得の収益差によって格差は広がり続けると警告したトマ・ピケティの『21世紀の資本』が話題になるのも、そんな危機感の表れだろう。
ただ、行き詰まり状態は共通でも、これを打開しようと動き回る資本の収益確保のあり方は国ごとに異なる。日本で猛進しているのは、働き手の賃下げ依存による収益の確保だ。空腹のタコは自らの足を食べ、やがては本体も食い尽くすと言われているが、社会の足である働き手に手を伸ばした「タコ足型資本主義」が、いま私たちの足元を掘り崩そうとしている。
日本は、主要先進国の中で、1990年代半ば以降、賃金が下がり続けている稀有な国だ。グローバル化が原因なら他の国も同じ傾向をたどるはずだが、他の先進国では、景気の回復とともに賃金は回復している。原因は、経済危機が起こるたびに労働の規制緩和による賃下げで対応する「賃下げ依存症」」(拙著『ルポ雇用劣化不況』参照)が起きているからだ。
日本は1970年代のオイルショックと1980年代の円高不況を二つの賃下げで乗り切った。過労死も引き起こした正社員の長時間労働による単価切り下げと、こうした男性世帯主に扶養される女性の極端な低賃金パート労働だ。
海外から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とほめそやされ、この手法が成功体験となった結果、日本社会はその後、経済危機が起きるたびに、労働の規制緩和を通じた労働集約的な低賃金労働の強化を繰り返してきた。「ブラック企業」は、労働集約的な働き方の強化こそ唯一の道と突き進んできた社会の行きついた先といえる。
「賃上げ」を掲げるアベノミクスは、一見、こうした手法からの脱出を目指しているかに見える。だが、その労働政策から見えてくるのは、従来の労働集約的低賃金労働を維持したまま、どう働き手の不満を抑えるかの「工夫」の羅列だ。
たとえば、労基法の1日8時間労働を撤廃して成果で労働を測るとする「新しい労働時間制度」は、労働への法的規制を外し、働き手の頑張りを促すことによって賃金を増やさず生産性を上げようとする新手の「賃下げ依存」法だ。
また、限定正社員制度も、転勤などがないことを理由に正社員と同等の仕事をより安い賃金で担わせつつ、無期雇用によって忠誠心は維持させようとするものになりかねない。さらに、労働者派遣法改定案も、
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