共同体主義と自由主義の対立、アメリカ社会の公正性に対する強い疑念も背景に
2015年02月10日
いよいよ大論争が始まった。
WEBRONZAで小原篤次氏が、この1月3日に開催されたアメリカ経済学会での『21世紀の資本』を巡るパネル・ディスカッションの様子を報告されている。(「ピケティ氏が議論の中心、米経済学会年次大会報告」1月13日)小原氏が書かれているとおり、このパネル・ディスカッションは動画配信されているので、誰でも見ることができる。私もこのウェブキャストを見た。
http://events.mediasite.com/Mediasite/Play/b6d6725ea1df49c896fc82465f732e9b1d
このセッションの司会兼報告者を務めたのは、日本でも経済学の教科書で有名なグレゴリー・マンキュー・ハーバード大学教授である。他の報告者は、経済成長論の専門家であるデイヴィッド・ワイル・ブラウン大学教授、そしてアメリカンエンタープライズ・インスティテュートのケヴィン・ハセット氏。マンキュー教授も含め、いずれも政治的には共和党寄りの人々であり、ピケティ氏の唱えるグローバルな資産課税には反対の立場である。
ここにはリベラル派のクルーグマンやスティグリッツといったピケティ応援団はいない。おそらくアメリカ経済学会は、争点を明確にすることを考えたのであろう。
本稿では、以下、マンキューのピケティ批判に焦点を当てて、何が争点なのかを見てみたい。なお、彼がこのパネル・ディスカッションの為に用意した小論文のタイトルは、”Yes, r>g, so what?”(r>g で何が問題なの?)。
マンキューは、先ず、資本の収益率(r)が経済成長率(g)より高いのは、それ自体は資本主義の健全性を示しているもので問題はない、という。r>g とは、世界が未だに資本不足の状態であり、資本に十分な収益機会があり、したがって資本蓄積のインセンティブがある、ということである。
逆に r<g であるなら、それは資本の過剰蓄積により収益機会が無くなった状態だから、投資活動が停滞して経済の成長が止まる。もしもこういう状態が続けば、消費を奨励して資本を取り崩す必要があるが、これは容易ではない。
更にマンキューは、ピケティの懸念する「持つ者と持たざる者の格差」は、現に存在する相続税を考慮すると、階層を固定することはない、という。
例えば、金持ちの子供の数を平均2人であるとして、世代の入れ替わりに35年を要するとすると、相続人は年率2%で増えている計算になる。言い換えると、相続人一人当たりの財産が年率2%で減少する。
更に、資本収益だけで生活する大金持ちを考えると、その消費性向は経験値から資産の約3%なので(ここでは消費に寄付行為も含んでいる)、手元に残る所得はr-3%、これが資本の蓄積率である。
また、アメリカの相続税は連邦税と州税を合わせると50~55%である。世代交代が35年だと仮定すれば、相続税の年率は約2%ということになる。
つまり、子供の数を二人と仮定して、資本所得からの消費と相続税を考慮すると、r-7>g でなければ世代をまたぐ資本蓄積が成長率を超えることはない。ピケティの指摘するrが4~5%、gが1~1.5%だと仮定しても、資本は世代を跨いで蓄積されることはない、というのがマンキューの主張である(マンキューによれば、アメリカではgは実際には平均3%)。
マンキューは、ピケティの提案する資産課税は、確かに格差を縮小する効果はあるが、成長を阻害して、資本家・労働者双方にダメージを与える、と主張する。
マンキューの説明は新古典派成長モデルを使ったかなり技術的なものなので、これを省いて結論だけを言えば、「資本課税は資本の蓄積を阻害するので、労働生産性の上昇を抑え、たとえ資本税が全て労働者に再分配されたとしても、資本税がない場合に比べて、労働者の所得と消費水準を低下させる」
そして、ウィンストン・チャーチルを引用して、
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