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崩れ去るホンダの神話

不振の深層と新体制の取り組むべき課題を探る

中西孝樹 ナカニシ自動車産業リサーチ代表

 ホンダは2月23日、伊東孝紳社長が6月に退任し、後任に八郷隆弘常務執行役員を指名する社長人事を発表しました。タカタのエアバッグ問題やフィットの品質問題などの引責含みの驚きの社長交代という論調がメディアには多いようです。

拡大ホンダはF1への復帰も決めたが…

 しかし、6年目の社長交代には違和感はありません。むしろ、フィットの開発担当者で名を馳せた有力候補の松本氏ではなく、温和で調整派の八郷氏となったところに、現在のホンダの悩みと修正すべき戦略が見え隠れします。ホンダの不振の深層と新体制の取り組むべき問題点がどこにあるかを考えてみます。

 フィットの品質問題にとどまらず、ホンダの不振の根は深いところにあると考えます。今期まで3期連続でホンダは販売台数と利益計画の下方修正を繰り返してきたことが証左であり、ムリを重ねたほころびを露呈しています。米国はインセンティブ(販売奨励金)漬け、日本、中国、タイは在庫まみれの惨憺たる状況です。日本の品質問題もさることながら、タカタのエアバッグインフレーター問題ではホンダ車は世界規模でリコールを拡大、米国運輸局からは罰金を課され、対応の遅れへの企業責任は強く問われブランドは著しく毀損しています。

 伊東社長の拡大主義への批判がメディアには溢れています。大なり小なり、これらの指摘はポイントを得ているのですが、ここでは3つの論考が必要だと我々は考えます。

 第一に、ホンダはなぜ『伊東改革』を必要とし、なぜその策に溺れてしまったのか。

 第二に、孤高を守り、独創的な技術開発を基本とするホンダのビジネスモデルが持続可能で、ホンダの研究所は現在でも必要な競争力を維持できているのか。

 第三は、指名された新社長八郷氏が取るべき新戦略とは何かです。

伊東社長の改革の成果

 2009年に登場した伊東社長が改革主義を掲げて鮮烈なデビューを果たし、その改革の成果は忘れてはならないと思います。リーマン・ショック後のホンダは、先進国事業でいきづまり、新興国四輪車で完全に出遅れという、戦略上最も閉塞感を強めたメーカーでした。トヨタ並みの事業基盤と財務体質があればあやまちは何度でもやり直しがききますが、孤高のホンダは一度のミスでも命取りになりかねない危機です。危機意識の塊のような『伊東改革』が打ち上げられたわけです。

 とにもかくにも、2000年代のホンダは勝ちすぎでした。米国住宅価格、円安、原油価格上昇の3つの金融バブルにまみれ、さらに米国デトロイト3の自滅にも助けられ、この世の春のような時代を過ごしました。楽勝という構図は、企業は慢心してしまいます。創業者の思いを忘れ、時代の先を読むことも、チャレンジすることもできない組織に陥っていたと思われます。

 そこにさっそうと伊東氏が現れ、膠着した組織を改革し、エンジンやパワーユニットを刷新し、先進国の収益力を再構築し、新興国で戦える基盤を作り上げる。この課題を一気に進める改革を押しすすめたのです。

 矢継ぎ早の『伊東改革』が打ち出されました。「ブリオ」「アメイズ」「モビリオ」といった新興国専用モデルを開発し、新興国各国に100万台の能力増強を実施しました。国内の軽市場に本格再参入し、開発・調達・生産・営業を鈴鹿工場に集結して軽開発を行う「SKI(鈴鹿、軽、イノベーションの頭文字)」プロジェクトを立ち上げ多大な成功を収めました。

業界常識を覆すスピード

 業界常識を覆すスピードでエンジンの全面刷新も実施され、そこに、3つの新ハイブリッドシステムまで同時開発しました。「フィット」「べゼル」「グレース」など、グローバルスモールをシリーズ化するだけでなく、 ・・・ログインして読む
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筆者

中西孝樹

中西孝樹(なかにし・たかき) ナカニシ自動車産業リサーチ代表

(株)ナカニシ自動車産業リサーチ代表。1994年以来一貫して自動車業界の調査を担当し、日経金融新聞・日経ヴェリタス人気アナリストランキング自動車・自動車部品部門、米国Institutional Investor(II)自動車部門ともに2003年~2009年まで6年連続第1位。2011年にセルサイド復帰後、日経ヴェリタス人気アナリストランキング、IIともに自動車部門で2013年に第1位。1986年オレゴン大学ビジネス学部卒。山一證券、メリルリンチ証券等を経由し、2006年からJPモルガン証券東京支店株式調査部長、2009年からアライアンス・バーンスタインのグロース株式調査部長に就任。2011年にアジアパシフィックの自動車調査統括責任者として、メリルリンチ日本証券に復帰。2013年に独立しナカニシ自動車産業リサーチを設立。

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