体系的な知を組み立て直すことはもはや不可能なのか
2015年03月26日
これまで、「本が読まれない」どころか「本が憎まれている」という話をしてきた。
ある専門家と雑誌で対談をして、よくあるように「さらに学びたい人のために」と推薦図書をいくつかあげたのだが、その後、担当編集者が「読者から苦情の電話が来た」と教えてくれた。「あとはこの本を読め、とは失礼な。まさに“上から目線”ではないか。知ってほしければ要約して紹介するのが筋だろう」とたいへんな憤りだったという。雑誌を買って読むのだから、「知」をすべて拒絶しているわけではなさそうだ。そういう層にまで「本」は不人気だということか。まさに「本がモテない時代」である。
しかし、驚くなかれ。今から四半世紀前には、「本がモテた」どころか「本でモテた時代」があったのだ。
30年も昔の話で恐縮だが、1984年から1985年にかけて、朝日出版社から「週刊本」というシリーズ名の新書が刊行された。新書とはいっても、平綴じで再生紙のような紙が使われており、洋書のペーパーバックのようなスタイルを取っていた。著者には坂本龍一氏、四方田犬彦氏、田中康夫氏など錚々たる顔ぶれがそろい、比較的、手軽に読めるものの内容はどれも非常に濃密で刺激的であった。
そのラインナップから85年に世に出た『卒業 Kyon2に向かって』は、「新人類トリオ」といわれメディアの寵児であった野々村文宏氏、中森明夫氏、田口賢司氏の鼎談集だ。その中で、田口氏が当時、トップアイドルであった松本伊代さんに出会ったという話を披露する。サインをもらおうとした田口氏は、ちょうどカバンに入っていたヘーゲルの『精神の現象学』を差し出す。すると伊代さんはそこに「ヘーゲル大好き 松本伊代」と書いた、と言うのだ。
3人のみならず、読者も「伊代ちゃんもヘーゲルが好きなんだ」とおおいに盛り上がった。もちろん真偽はわからないが、ニュー・アカデミズムいわゆるニューアカブームにわいていたその頃には「さもありなん」というエピソードとして、「女子大生がディスコに浅田彰氏の『構造と力』を抱えてやって来た」といった話とともに半ば都市伝説化して長らく語り継がれた。
どれくらい内容が理解できていたかはさておいて、「難しい本を持っているのはカッコいい」という雰囲気があったことはたしかだ。
また『卒業』に先立つこと1年、84年のベストセラーにイラストレーターでエッセイストの渡辺和博氏による『金魂巻(キンコンカン)』があった。これは、コピーライターや放送作家という当時のトレンド職業ごとに存在する格差を「○金」「○ビ(貧乏の意)」と表現、それぞれの特徴を鋭く描いた力作であった。
その中に「学者の卵」という章があるのだが、そこで「難解な思想書」が次のように取り上げられている。
「難解には二つの大きな流れがあります。それは、クロ難とシロ難です。お気づきのことは思いますが、その判別法は背表紙が黒いか、白いかです。みすず書房系のモノは、L.ストロース、E.フッサール、メルロ・ポンティなど洋モノが主流で装丁が白いのが特徴です。
一方、講談社版『死霊』(埴谷雄高著、定価1400円)は、背表紙が黒です。(中略)
このシロ難、クロ難に加えて新しくデビューしたのが『チベットのモーツアルト』(中沢新一著、せりか書房、定価2500円)という背表紙が赤のアカ難です。時代に合わせて、難解も変わりました。シロ、クロ、アカとりっぱにそろった難解のお姿を、いったい誰が想像したことでしょう。浅田彰、中沢新一、吉本隆明、栗本慎一郎と私たちと青春をともに過ごし、お世話になった難解の○金たちのご恩は一生、忘れてはならないと思っています。」(渡辺和博とタラコプロダクション、『金魂巻(キンコンカン) 現代人気職業三十一の金持ビンボ-人の表層と力と構造』、主婦の友社、1984)
この「クロ難」「シロ難」は、実は作家の赤瀬川原平氏が「みすず書房の書籍は『白難解』、現代思潮新社は『黒難解』」と呼んだことに由来するとも言われたが、いずれにしてもトレンド職業を解説する文章にこういった難解本の話が出てくるのは、
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