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日本はそろそろ平和に飽きてきたのか?

第一次世界大戦の歴史から考える

木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

 第一次世界大戦(注)は1914年、セルビアの暗殺者が放った銃声をきっかけに、瞬く間に戦火が欧州全体に拡大した。機関銃、戦車、毒ガス、飛行船などの新兵器が投入され、西部戦線を中心に、900万人以上の兵士が戦死した。

 欧州では19世紀後半の普仏戦争(プロシャ・フランス戦争)以来43年間、大きな戦争はなく、一見、平和と繁栄の時代を過ごしていた。それがなぜ空前の大量殺戮戦に突入していったのか――。

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の現場には多くの観光客の姿も

 この疑問について、第一次大戦を描写したバーバラ・タックマン著「8月の砲声」は、ある識者の回答を示している。「(人々が)無意識のうちに平和に飽きていた」のだという。

 欧州が享受する平和の裏側では、国家間の領土紛争や経済利害の対立といった歪みがマグマのようにたまっていた。

 しかし、平和が国際条約で保たれている限り、その歪みを根本的に解決することは困難で、自国の欲望を押し通すことはできない。つまり平和とは、不満やうっぷんや憎しみを貯めこんだまま現状を固定化するものなのだ。

 そのため各国の軍部はそれぞれ秘かに「戦争計画」を練り上げていた。とくにドイツ陸軍は、ベルギーを通過してフランスに殺到し、パリを占領した後、きびすを返してロシアに向かうという二正面作戦(シュリーフェン・プラン)を策定。当然、フランスもロシアも対抗計画を作っていた。誰かが開始のゴングを鳴らすだけで、欧州を挙げて総力戦が始まる支度が整っていたのである。

 ドイツの作家トーマス・マンは、対フランス攻撃を熱狂的に支持した。「戦争は浄化作用であり、

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