「緑の遍路」を続けてきた
2015年06月05日
英国とアイルランドの海岸地帯には、「リンクスランド」と呼ばれる起伏に富んだ広大な砂丘地帯がある。農耕には適していないのにゴルフには最適という不思議な大地だ。リンクスランドには、マラム、ベント、フェスキュー、メドゥなどの、強靭な芝草が生い茂っている。この広大な不毛の大地があってこそ長い距離を打ち進むゴルフという球技が誕生したのだ。
リンクスランドの地形には手を加えずに、フェアウェイとグリーンにあたるところの芝草を刈っただけの、野趣あふれるコースが「リンクス」である。多くの歴史的なリンクスの設計者は不詳。けもの道のように、多くの人がプレーしているうちに自然にコースが定まった。
リンクスでは、日本のコースからは想像できない景色が広がる。ゴルファーなら一度は訪れてみたい、ゴルフの原点に触れることができる場所だ。
1994年、50歳のとき、仕事帰りに立ち寄った書店で、『リンクスランドへ―ゴルフの魂を探して』(朝日出版)という本をなにげなく手にとった。ぼくの後半生を大きく変えた運命の1冊だ。この本と出会って、ぼくはゴルフの本質を探究するようになり、その後、文筆活動を始めた。
フィラデルフィアの新聞記者で31歳の著者、マイクル・バンバーガーは、マンネリに陥った自分のゴルフに飽き足らなくなり一念発起。思い切って休職し、新妻とともに、欧州ツアーで活躍している、同郷の異色プロ、ピーター・テラベイネンを頼って渡欧する。そして、専属キャディとして働きながら、ツアー開催地を転々とする。ここで語られる欧州ツアーの実情は大変興味深い。
半年後、バンバーガーはスコットランドに向かい、各地を流浪しながら「ゴルフの魂」を探す。各地のリンクスでプレーしたり、地元ゴルファーと交流したり、古老ゴルファーにゴルフの神髄を教わったりする。
この本を読み進むにつれて、ゴルフ発祥の地には、接待ゴルフに明け暮れていたぼくには想像もつかない奥深いゴルフの世界があると知って、衝撃を受けた。スコットランドへ行こう、という熱い思いが込みあげてきた。しかし、あまりにも遠い世界だ。熱い思いは心中深くしまい込まれたままとなった。
2年後の1996年、自宅からほど近い茨木カンツリー倶楽部で開催された第61回日本オープンの最終日を生観戦した。練習グリーンの脇にいると、見慣れない金髪で長身の選手がやってきて、バンカーショットの練習を始め、癖のある職人技といってよいスウィングで、ピタッピタッと寄せるのに驚嘆。
そして最終日、18番ホールの第2打地点に座っていると、
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