政治家までが「勉強や学問は悪に通じる」とでも言おうとしている
2015年06月24日
無学者、論に負けず。
長屋の八五郎が博識のご隠居を質問攻めで追い詰めていく落語「やかん」のオチでもおなじみのことわざだが、それを地で行こうとする人たちが現れた。
しかも、その人たちがいるのは長屋ではなく国会だというのだから、これでは落語にもならない。
ここまで、なぜ今、知性が憎悪の対象になっているのか、過去を振り返りながら考えてきたが、ここに来て「“おバカの時代”ついに極まれり」という事態となったのだ。
もちろんこれは、6月4日の衆院憲法審査会に参考人として呼ばれた3人の憲法学者が、安保法制を「憲法違反」と明言したことと、それに対する政府与党の反応を指していることは言うまでもない。
その反応は、まさに「知の愚弄」としか言えないものであった。知が、学問がバカにされ、さらに「バカにすることが正義」と開き直るような政治家や官僚たちの態度に、さすがにあきれ返った人も少なくないだろう。
しかし、それは今、突如として始まったことではない。出版やテレビの世界を中心にずっと続いてきた「よりわかりやすく」を求める動きが、ここに来てついに政治の世界においても幅をきかせるようになった、というだけのことなのかもしれない。
前回、テレビの世界に自らの無知や非常識を恥ずかしげもなく披露する“おバカタレント”たちが登場、という話題を取り上げた。最初こそ「バカだな、こんな漢字も書けないなんて」と嘲笑の対象になっていた彼ら彼女らだが、次第にその評価が変わっていった。
「堂々として勇気がある」「知ったかぶりをする人よりも率直で誠実」「勉強ができなくても明るく前向きなのはすばらしい」とその姿勢や人がらに対する好印象は、次第に「インテリより“おバカ”たちのほうが人生の経験値が高いのでは」「本当の意味で賢いのは“おバカ”のほうだ」と評価の逆点につながって行った。
「バカが利口より頭がよい」というのはそれだけを見ると矛盾そのものだが、次々と歌をヒットさせたり有名野球選手の妻の座を獲得したりしていく“おバカタレント”たちに、人々は大真面目に「バカって賢いんだな」とつぶやいたのである。「バカでもよい」のではなくて、「バカのほうがよい」という価値観が誕生したのだ。
しかし本当の問題は、この価値観がテレビの世界にとどまるものではなかったことだ。
たとえば2012年5月18日、自民党の参議院議員・礒崎陽輔氏は自身のツイッターアカウントに次のような投稿をした。全文を引用しよう。
【時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。】
ちなみに礒崎氏は東大法学部卒であり、憲法審査会の委員でもある。「東大出たはずの政治家が立憲主義を知らないとは」「憲法審査会の委員なら憲法学説の到達点とかくらいは知っておいてほしい」などど批判的なコメントが多く寄せられたが、その年の12月に礒崎氏は首相補佐官に就任し、いまもその地位にある。
まさか立憲主義を知らなかったことが評価されての採用ではないだろうが、
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