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[4]正義の根幹は公正、ロールズの主張と格差

社会思想の歴史を踏まえ、資本主義の健全な姿を維持すべき〈朝日カル連携講座〉

坂本達哉

 WEBRONZAは朝日カルチャーセンターの協力を得て、同センターでの連携講座にご契約者のみなさんを招待しています。それぞれの連携講座の内容は連載記事としてWEBRONZAでご紹介します。今回は慶応大学の坂本達哉教授による「民主主義か資本主義か」です。フランスの経済学者ピケティ氏が『21世紀の資本』で現代の資本主義社会における格差問題を分析し、注目を集めました。しかし、この問題は、古くて新しいテーマだと坂本教授は解説します。ルソーからロールズまで、6人の思想家の考えをたどりながら、改めて問題の本質を見つめます。2015年3月24日、東京・新宿の朝日カルチャーセンター新宿教室での講座です。その最終回となる4回目をお届けします。

坂本達哉(さかもと・たつや)1955年東京生まれ。1979年慶應義塾大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科をへて、1989年慶應義塾大学経済学部助教授。1996年同教授。博士(経済学)。主要著作に『ヒュームの文明社会』(創文社、1995年)、『ヒューム希望の懐疑主義』(慶應義塾大学出版会、2011年)、『社会思想の歴史』(名古屋大学出版会、2014年)がある。

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 前回まで述べてきた19世紀からの弱肉強食的な資本主義がなぜ100年以上続いているのか。ここが重要なところです。

貯蓄イコール投資という恒等式

 ケインズ経済学の基本は、貯蓄イコール投資という恒等式ですね。貯蓄が投資にも振り向けられるということ。この大前提があるがために、この不平等が生じるのですが、それが経済学的にはもちろん、倫理的にも正当化されていたというわけです。

拡大坂本達哉教授

 実は、これはスミスの話と非常に関連してきます。スミスは人間はみな蓄積の本能をもつと言いました。みんな潜在的には資本家なのだと。そのことの意味は、煎じ詰めれば、貯蓄や節約ということが資本主義の原動力だということです。

 19世紀の資本家はみんなそうでした。要するに、富の配分は不平等ですが、資本家のもとに不平等に蓄積された富を、彼らは飲み食いとか賭け事とかに決して使っていなかったわけです。19世紀の資本家というのは、まさにキャプテン・オブ・インダストリーです。あるいは、スミスのいう蓄積の精神。または、マックス・ウェーバーのいう『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の世界です。

 資本家たちは自分の生活は限りなく質素にして、住宅から服装から食事から、もう限りなく質素です。イギリスでは、身分が上になればなるほど質素になってくる。貴族なんて本当にぼろみたいなものを着ています。日常生活では本当に質素です。食べ物も大きな皿に豆がころころころがっているようなも。今の感覚ではとても食べられたものではありません。豊かになればなるほどそういう地味な暮らしをしていた。その裏側には、蓄えたものを社会に投資するという、還元するという大前提があるわけですね。

 要するに資本家の場合は、自分が蓄えた富を遊ばせておかないで投資する。その結果は何かと言えば、それは労働者を雇用することになるのです。労働者を雇用して、労働者の賃金が上がり、労働者の生活水準が高まる。そして投資を勧めるわけですから、当然経済成長が起こって、パイ全体が大きくなる。労働者はもちろん資本家も潤うし、税収も増えて国家も潤うと。みんな万々歳なわけです。

蓄えた富を投資に回すという大前提

 そのみんな万々歳という体制は大前提として、蓄えた富を投資に回すということがあったわけです。労働者もそれを分かっています。逆に国民所得というものを国民全員で平等に分配するとどうなるか。例えば日本で、人口1億2,000万人、GDPは500兆円。この500兆円を1億2,000万人に完全に平等に分けたとしらた、途端に経済成長が止まってしまいます。要するに我々の財産がちょっと増えるぐらいのもの。それでは、一人ひとりが本格的な投資する余裕も生まれず、結局ちょっといいレストランに行こうとか月1回行くおいしい食事を2回にしようとかそれで終わっちゃうわけでしょう。結局、低成長になってしまうわけです。

拡大

 つまり、資本主義の経済には投資する人がいなきゃだめなんです。19世紀の資本家階級はきちんとそのような社会的義務を果たしていたので、労働者も黙ってそれを認めていたんですね。場合によってはストライキをやったり、デモをやったりしていたんですけど、でもその大前提はちゃんと資本家が投資をしなさいよと、経営をしなさいよと。それで結局、自分たちの賃金も上がって、生活もよくなるようにしなさいよという暗黙の前提なのです。

 ケインズが言いたいのは、こうした前提が19世紀の終わりから完全に崩れてしまったということなんです。なぜ崩れたかというのが、まさにピケティ問題の始まりですね。それはまさに金融資本主義というものに資本主義が変質していったからです。

始まった世界中への投資

 これは詳しくお話しすると時間がかかりますが、株式会社制度というのができます。19世紀の終わりに、いわゆる有限責任の株式会社制度。我々が考えているような株式会社制度がイギリスを中心にでき始めまして、労働者でもちょっと小金を株式市場に投資するということができるようになったのです。

 すると金持ちは、世界中に投資するようになりました。当時、例えばイギリスの貴族とか地主とか資本家は、当時、明治維新が進んでいた日本などに投資しました。日本はお金がなかったので、日本政府は国債を世界中に売っていた。その日本政府の国債を誰が引き受けていたかというと、海外ではほとんどがイギリスの資本家や貴族が引き受けていたと言われています。

 一方、アメリカは当時、南北戦争の前後にあたり、鉄道建設のラッシュでした。鉄道建設には莫大なお金がかかります。さすがのアメリカにもその資金がなかったので、国債で、つまり借金をしてそれを賄ったのです。アメリカの鉄道建設のための債権というのを誰が買っていたか。やはり、ほとんどがイギリスの貴族やブルジョアジーなのです。それはもちろん5年、10年後に2倍、3倍になって返ってくるわけです。

 そういう現在と同じ投資信託の巨大なものが、もう19世紀の終わりに始まっていたのです。ケインズはまさにそれをピンポイントで指摘した。実はこれこそが、貯蓄イコール投資の構図を破壊しているのだ、と。

 今まで余った富は国内に投資されてきた。それで、労働者も結局は潤っていました。ところがそれに全世界に投資されるようになった。国内には戻ってこない。これはまさに ・・・ログインして読む
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筆者

坂本達哉

坂本達哉(さかもと・たつや) 

1955年東京生まれ。1979年慶應義塾大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科をへて、1989年慶應義塾大学経済学部助教授。1996年同教授。博士(経済学)。主要著作に『ヒュームの文明社会』(創文社、1995年)、『ヒューム希望の懐疑主義』(慶應義塾大学出版会、2011年)、『社会思想の歴史』(名古屋大学出版会、2014年)がある。