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[2]世界史の中で中間層はいかに生まれたのか

「資本主義のこれまでとこれから」(WEBRONZA×朝日カル連携講座)

水野和夫 日本大学国際関係学部教授

ゼロ金利は豊かになったことの証明

 さて、13世紀には金利(当時は利子のなかに利潤も含まれていた)が認められ、資本も認められたわけですが、現在の金利はゼロです。このゼロは国債の利回りや預貯金の金利ですから、庶民にとってはまったくありがたくありません。少し前までは日本だけがゼロ金利だったのですが、ECB(欧州中央銀行)もゼロ金利。アメリカも量的緩和はやめたのですが、ゼロ金利にしています。

 銀行は国債を買うか、企業に貸し出しをして儲けています。銀行は基本的には株式を買っていませんから、当然ながら、私たちが銀行に100万円預金していても、株式の高騰で増えた分を上乗せして200万円返してくれるわけではありません。 銀行は預金者から集めたお金を工場、店舗、オフィスビルなどに貸しています。しかし、「オフィスビルを建築したい」と言っている人に貸しても、それで得られる利息はほとんどゼロに近いわけですから、預金者に支払う金利もゼロなわけです。

 まだ工場がなかった時代は、商業が経済の中心でした。たとえば、隣国に行って、自国にないものを仕入れ、それを売って儲ける。そういう商業中心の時代には、まだ証券市場がありませんでした。

 しかし、巨額の資本が必要となり、東インド会社ができて株式が発行され、多くの人から資本を集めるようになります。もっとも、当時は今日買って明日売るなどという取引きは行われていません。集めた資金をプランテーションなどに投資して、儲けにつなげるというやり方です。

 それでは、なぜ10%以上の金利からゼロになったかというと、工場、店舗、オフィスビル、あるいはプランテーションなどが収益を生まなくなってしまったからです。800年ほどかけて、それらには収益機会がなくなってしまいました。

 優良な収益機会が残っていないというのは、言い換えると、もうほとんど必要なものが手に入る時代になったということです。もっとも、これは特に日本などの先進国においてはということです。

 現在、「あれがなくて不便だ」という物品は、ほとんどないのではないでしょうか。一家に1台はパソコンもあるでしょうし、iPadだって1台か2台はある。テレビだってあるし、一度も着たことのない洋服がタンスにたくさん入っている。「たりない」という状態が、先進国ではほとんどなくなったわけです。

 すると投資家は満足できませんので、1971年から金融の自由化が進み、証券市場を整備しました。従来は国境を越えてお金が動くことに制限がありましたが、それを取り払ったのです。結果的に、世界中からウォール街にお金が集まるという現象が起きました。

 西ローマ帝国が繁栄した時には「すべての道はローマに通ず」でした。つまり、世界の物資はローマに集まってきたわけですが、1971年以降、はウォール街は金融の自由化とグローバリゼーションを世界中に浸透させることで世界中のお金が集まってくる仕組みを作ったのです。

 それに対してピケティは、ウォール街の実力でお金が集まるわけではなく、単に相続者とスーパーCEOが集めているとしています。

中間層は戦争とソビエトによって生まれた

 18世紀、実力社会を実現するために、世界中で市民革命が発生しました。それまでは階級社会ですから、貴族の家に生まれれば、一生安泰に暮らせます。一方、貧乏な家に生まれたら、実力をつける機会すらありませんでした。そういう社会では、98%の人が明日のパンにすら困るため、本人の実力で所得や資産が決まる世の中を目指したわけです。

 しかし、ピケティはフランス革命が起きた後も身分社会あるいは相続社会になっていると分析しています。

 ただし、1910年から1970年までの60年間は例外で、上位10%の人と、その次の40%の人、つまり上半分の人に富が分散するような累進課税政策を取っていました。しかし、1980年代からまた元に戻ってしまっていると彼は言います。

 なぜ1910年から1970年代まではそのような政策が可能だったかというと、二度の世界大戦が起きたことと、ライバルのソビエトが台頭してきたからです。そういう時代に、上位10%の人と下位90%の人との差が極端だと、西側諸国で革命が起きかねません。したがって、中間層を手厚くするわけです。

 また、20世紀の戦争は職業軍人が戦うわけではなく、国家総動員になりました。そこで、安心して戦争に行ってもらうためにもそういう政策が必要だったのです。残された家族には、累進課税で資産をきちんと分配しますよということです。その結果、第二次世界大戦後には大量の中産階級が生まれました。

 ですから、フランス革命の理念=実力社会にするという理念を実行しようとして、中間層が生まれたわけではないということです。社会保険制度にしても、最初につくったのはドイツのビスマルクですので、やはり安心して戦場に行ってもらうという考え方を基盤にして、中間層が誕生したと言えるでしょう。

 ピケティは、フランス革命の理念が実現されたことは一度もないと言います。戦争とソビエトがあったから中間層が生まれただけで、戦争やソビエトがなくなれば、1980年代からまた相続社会にトレンドが変わってきた。というか、元のトレンドが頭をもたげてきたということになります。

ヨーロッパを支えてきた「コレクション」

 ところで、「資本の蒐集」という言葉があります。「コレクション」と言いますが、これは名詞ではなく形容詞です。形容詞というよりも、動態的と言った方がいいでしょうか。常に動いている、静止していない、完成していないということです。ですから、「コレクティブ」と言った方が正しいでしょうか。

 このコレクティブは、ヨーロッパにとっては社会秩序そのものということになります。コレクション(収集)しないと社会秩序が維持できないからです。

 それはなぜか。世界地図を見ればヨーロッパはいちおうヨーロッパ大陸ですが、 ・・・ログインして読む
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筆者

水野和夫

水野和夫(みずの・かずお) 日本大学国際関係学部教授

1953年愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、同大学大学院経済学研究科修士課程修了。八千代証券(国際証券、三菱証券を経て現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。金融市場調査部長、チーフエコノミスト、執行役員などを経て'10年退社。内閣官房内閣審議官などを経て、現在、日本大学国際関係学部教授。著書に『100年デフレ』『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日本経済新聞社、 のち日経ビジネス人文庫)、『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(日本経済新聞出版社)、『資本主義という謎』(共著、NHK出版新書)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)など多数。