ゴルフはスポーツの中のスポーツ
2016年01月30日
ゴルフは、600年に及ぶ長い歴史を持つ球技であり、早くも1744年にルールが整った最古の近代スポーツでもある。さらには、リオデジャネイロ五輪に続いて東京五輪でも正式競技種目になる。ゴルフがスポーツであることは間違いない。それでも、「ゴルフはスポーツなのか?」と疑問を投げかける人がいる。一体なぜなのだろうか。
いくつかの理由がある。
まず、日本のゴルフ産業は高度成長期とバブル経済期に法人需要に依存して急成長した。ゴルフには接待のイメージが色濃く残っている。また、プレー中に酒を飲むからだ。プレー中に飲酒をするスポーツはゴルフぐらいではないだろうか。さらに、目に余る賭けをする輩がいるからだ。最後に、ゴルフがあまりにも楽しいからだ。大人が一日かけて遊び戯れるスポーツは他に類を見ない。
ところで、「国民体育大会」と「日本体育協会」の英語表記が、それぞれ「National Sports Festival」と「Japan Sports Association」であることからわかるように、「スポーツ=体育」という誤解が広くいきわたっている。明治初期に欧米から伝わったスポーツを行う場所がなかったために、学校を中心に体育としてのスポーツが発展した。その結果、スポーツと体育の区別が判然としなくなった。体育は教育用語なのである。「スポーツ=体育」と思っている人が、大人が一日遊び戯れるゴルフはスポーツではないと思うのはもっともだ。
しかし、言葉の本来の意味では、「スポーツ=遊び」なのである。
スポーツの語源は中世の古フランス語「desporter」であり、「des」は「~から離れて」を、「porter」は「運ぶ」を意味する。すなわち、「desporter」は仕事から離れての気分転換、骨休め、娯楽を指す言葉で、様々な球技や走跳投、格闘、ダンス、九柱戯、冗談や歌、踊り、チェス、トランプなどのありとあらゆる遊戯が含まれていた。「desporter」 は英語化して「disport」となり、16 世紀に「sport」 と省略されるとともに、戸外で楽しまれる身体活動をともなう遊戯を意味するようになった。
オックスフォード英英辞典で「sport」を引くと、「身体能力の発揮や技を伴う、個人やチームが競い合って、楽しむために行う活動」と記されている。単に「楽しみ」という意味さえある。「楽しみ」を抜きにしたスポーツはありえない。「スポーツ=遊び」という本来の言葉の意味からすれば、ゴルフで酒を飲んだり、チョコレートを賭けたりするのはしごく当たり前なのだ。
19世紀の初めに、突如として近代スポーツの幕が開いた。多くの近代スポーツが産業革命たけなわの英国で生まれたのには訳がある。中高一貫の名門私立校であるパブリックスクールが、中世から続く荒々しいスポーツを近代化して、エリート教育の手段として取り入れたのだ。
例えば、両陣営の数百人もの群衆がボールを乱暴な方法で奪い合いながら街中や草原や川を抜けて、町はずれのゴールへしゃにむに待ちこむ乱暴な競技であった「民俗フットボール」は、ラグビーとサッカーに姿を変えた。中世以来、気晴らしや遊戯であったスポーツは、人材育成の手段となったのである。スポーツを通して、団結力、忍耐力、責任感、規律を身に付けたエリートたちが世界各地に派遣され大英帝国を支えた。
体育という教育用語はパブリックスクールに由来するに違いない。ただ、近代スポーツの本家本元の英国では、スポーツという言葉から「楽しみ」という意味は消えていない。多くの人が学校を卒業してからも、学校生活で覚えたゴルフやクリケットやサッカー、ラグビーなどを、地域社会の中にある様々なスポーツクラブの会員となって楽しんでいるのだ。英国においては、ゴルフクラブは、数あるいろんなスポーツクラブのひとつにすぎない。ゴルフは地域社会の中にしっかりと根を下ろしている。英国では、ゴルフは多くの人にとって生活の一部なのである。
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