高齢労働者を取り巻く過酷な労働環境から見えてくるもの
2016年02月09日
先月15日に長野県軽井沢町で起きたスキーバス事故では、運転手が65歳の契約社員で、トラックや中型バスの運転経験しかなく、大型観光バスへの乗務を渋っていたことが明らかになっている。
体力に不安を感じ始める高齢期の労働者が、不慣れな大型バスの運転をなぜ、引き受けざるを得なかったのか。その事実は、政府が掲げる「一億総活躍社会」の危うい側面を浮かび上がらせる。
今回の事故の原因が運転手にあったのかどうかは、まだわかっていない。にもかかわらず、複数のマスメディアが運転手の年齢や、バス業界の運転手の高齢化を取り上げているのは、体力に衰えを感じる年代の運転手が増加する一方で、労働条件が過酷化している事態に不安を捨てきれないからだろう。
国土交通省が2014年に発表した「バス運転手の確保及び育成に向けた検討会とりまとめ」によると、少子高齢化のなか、バスの運転手の平均年齢はこの10年で45・9歳から全産業平均を6・3歳上回る48・3歳に上昇、60歳以上が6人に1人を占める。バス運転手全体の高齢化をうかがわせる数字だ。
路線バス自体は、人命と安全を守るという公共交通の原則から認可制で規制されてきたが、2000年の規制緩和によって観光ツアーバス部門に異業種・小資本の参入が強まり、低価格競争が激化し、運転手の待遇の劣化が進んだ。
軽井沢の事故を引き起こしたバス運行会社、イーエスピー社も本体は警備保障会社で、2014年に新規参入したばかりだったという。低待遇で人材が集まりにくい中で、アベノミクスによる2013年からの円安で外国人観光客が増え、運転手不足を加速させた。
キャリアのある大型免許の高技能者を確保しなければならない業種なのに、低価格競争で人件費コストは抑えなければならず、新しい人材を訓練するためのコストもかけられないとすれば、なんとか確保した運転手の長時間労働で人手不足を乗り切るしかなくなる。運転手が高齢化しているバス業界で、このような長時間労働が横行すれば、事故の温床になってもおかしくない。
警察庁が2014年から2005年の間に起きた大型貸切バスによる人身事故を調査したところ、2014年に65歳以上の運転手が起こした事故は38件で2005年の2.3倍となり、事故全体に占める割合も13.5%で3倍に増えていたという。
しかも、高齢者が働く環境を考えると、こうした労働条件を押し返すことはかなり難しい。
まず、高齢者の労働については「定年後の余技」「年金があるから賃金は低くても大丈夫」といった社会の錯覚がある。本人も、「もう現役ではないから」と、どこか引け目に感じ、賃金水準をはじめとする労働条件の引き下げに抵抗しにくい。
だが、いまや「余技」どころか、年金の支給開始年齢は繰り上げられ、再雇用に頼らなければ生活できない例は多い。低年金で、年金以外の副収入なしでは生活できない例も少なくないなか、今後予想される支給額の引き下げでそのような高齢者はもっと増えるだろう。これでは「嫌ならやめる」という選択はできない。働いて稼ぐことが命綱になっているのに、退職して労組からも外れてしまっているので、権利も主張しにくい。軽井沢事故の運転手も、断りたくても断れない、そんな丸裸状態にあった可能性は高い。
政府の「一億総活躍社会」政策で、「生涯現役社会」と高齢者の労働市場への参入を促しながら、その労働条件や労働環境の整備に正面から取り組んでこなかったことが、あちこちで問題を噴出させている。
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