言葉に踊らされず、何を基準に、誰が決める「同一」なのかを見極めていくことが必要だ
2016年02月19日
安倍晋三首相が先月の施政方針演説で「同一労働同一賃金」を表明し、国会での論戦では法制化にも言及した。これまで野党が格差是正の処方箋として提案してきたものに与党トップの首相が乗り出してきたことに、驚きが広がっている。
だが、日本でのこれまでの同一労働同一賃金の動きは、下手をすれば賃金差別の固定化や賃下げに利用されかねない危うさをはらんでおり、「同一」の基準によっては「格差是正」の看板に逆行しかねない。
同一労働同一賃金は、同じ仕事、または類似した仕事を職務に分解してそれぞれに点数をつけて比べ、総和が同程度なら同水準の賃金を支払うことだ。
「能力」や「将来性」で評価する職能給をとってきた日本企業では、職務による評価である同一労働同一賃金には否定的な意見が根強かった。背景には、1950年代、企業が敗戦への反省から米国流職務給への転換を目指したものの、職務評価の手間の大きさから頓挫したという体験がある。
だが、「潜在的な能力」「将来性」などの主観的な基準での判断は、働き手を丸ごと抱え込む終身雇用には便利でも、企業の壁を超えた客観的な評価なものさしにはなりにくい。
働き手の4割が短期契約で時間給の非正規労働者になり、正規労働者でさえ大量にリストラされて他の企業に転職する時代には不向きだ。しかも、主観的な基準なので「非正規だから安くて当たり前」という偏見を覆しにくい。その結果、企業は仕事が同じでも賃金は安い非正規者を増やし、景気が好転しても働き手全体の賃金上昇につながらないデフレ社会を促す結果になった。
そんな「当たり前」を覆すには、仕事をいったん職務に分解し客観的に評価し直してみる必要がある。同一労働同一賃金を求める声は、そんな中で高まってきた。
だが、これまでの日本での同一労働同一賃金論議では、こうした非正規への偏見を覆すどころか、むしろそれを合理化してしまいかねないものをはらんでいる。
国際労働機関(ILO)では、差別や偏見によって不当に低く見積もられた労働の再評価を目指し、同一の仕事はもちろん、異なる仕事でも価値が同じなら同じ賃金を支払う「同一価値労働同一賃金」を提唱する。
ここでは、職務を「知識・技能」「責任」「負担度」「労働環境」の四つの要素に分解して採点する。知識や技能がさほど高くなくても、重い負担や過酷な労働環境での労働にポイントを与えるつくりだ。このため、同じ店長の仕事で正社員の間に賃金格差が生まれるパート店長はもちろん、暑い厨房で一日中ハンバーガーづくりに追われ続ける低賃金労働者の仕事の評価も引き上げることができる。
ところが、2008年に日本経団連が発表した「経営労働政策委員会報告」では、「同一価値労働とは、将来にわたる期待の要素も考慮して、企業に同一の付加価値をもたらす労働である」とされている。これでは働き手が負担の重い劣悪環境で働いていようと、企業が「同一の付加価値」を生んだと認定しなければ賃金格差は縮まらない。
何を「付加価値」と考えるかは企業の判断次第だからかえって恣意的な評価にもなりかねない。それを防ごうと「付加価値」に数値を導入したりすれば、数値達成競争が激化し、過労死の続発につながる恐れさえある。
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