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祝日法を改正し、占領レジーム変革のきっかけを

時間をかけるべき憲法改正に先立って行っておくべきこと

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

占領下の「民主化」で名称が変更に

日の丸に向かい、君が代を斉唱する建国を祝う集いの参加者たち=2011年、広島国際会議場日の丸に向かい、君が代を斉唱する建国を祝う集いの参加者たち=2011年、広島国際会議場

 「国民の祝日に関する法律」、いわゆる祝日法は占領下の1948年(昭和23年)7月20日に公布され、即日施行されている。戦後の「民主化」の一環として戦前の祝日を廃止、あるいは改称し、かつ新たな祝日を設けたのだった。

 祝日法第一条は、「祝日」とは「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるのに、国民こぞって祝い、感謝し、また記念する日である」と定義している。そして現在、元日・建国記念の日・春分の日等に加え、海の日や山の日(2016年から適用)が設定され、年間16日(山の日を加え17日)が祝日とされている。

 占領下の「民主化」ということで戦前からの伝統は否定され、多くの名称が変更されたのだった。例えば、11月3日の明治節は文化の日に、11月23日の新嘗祭は勤労感謝の日に変えられている。

 文化の日は憲法公布の日だが、憲法記念日は憲法発効の日5月3日に制定されているので文化の日としているようだが、何で「文化」なのか著者には理解できない。明治天皇の誕生日なのだから「明治節」に戻すべきだろう。戦後、天皇の地位には変更があったが、いまだに日本の象徴である。明治天皇の誕生日を祝うのは何も民主主義に反する訳ではない。

 11月23日の勤労感謝の日も、なぜ勤労に感謝するのかははっきりしない。新嘗祭に戻すべきだろう。天皇が五穀の新穀を天神地祇に進め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する日で、現在でも官中三殿の近くにある新嘉殿で儀式が行われている。天皇が即立して最初の新嘗祭は大嘗祭と呼ばれている。民主化は結構だが、歴史や伝統の無視・否定はいただけない。新嘗祭も大嘗祭も官中では行われているのだから、これを広く国民に知らしめて、新嘗祭として祝うべきなのだろう。

先進国で一番休みの日が多い国

 他の祝日についても同様。5月5日の子供の日は端午の節句に戻すべきだろう。江戸時代以降、男の子の節句とされ、武者人形や鯉のぼりを飾って祝う日だ。著者も子供の頃、大きな鯉のぼりを建てて祝ってもらったのを記憶している。

 男女平等ということで子供の日としたのだろうが、男女平等というなら3月3日の桃の節句を女の子のための祝日にすればいいのではないだろうか。奈良時代から受け継がれてきた五節句は大切な伝統として守っていくべきだろう(五節句は1月7日の七草の節句、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句)。

 現在、五節句のうち5月5日以外は祝日になっていないが、五節句すべてを祝日にすべきなのではないだろうか。その見返りと言っては不適切なのかもしれないが、海の日とか山の日、あるいは体育の日等は廃止したらいい。

 なぜ7月の第3月曜日が海の日で、8月11日が山の日なのか理解しかねる。体育の日は1964年の東京オリンピックの開会式が行われた日だが(1966年からは10月10日、2000年からは「ハッピーマンデー制度」の適用により10月の第2月曜日)、「スポーツにたしなみ、健康な心身をつちかう」ためにはたして休日が必要なのだろうか。

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