もしアメリカの了解なしに介入しても、その効果は極めて弱いものになるだろう
2016年05月31日
2015年末まで1ドル120円台だった円ドル相場が、2016年に入って急速に円高に推移している。1月に1ドル118円台(月平均)、2月に115円台、3月に113円台へ、そして5月には一時110円を割って105~115円のレンジに入ってきている。
実は、黒田東彦日銀総裁が総裁に就任した2013年3月円ドルレートは1ドル94.79円と1ドル100円を切っていた。その後、日銀の積極的金融緩和を背景に急速に円安が進み、2013年12月には1ドル100円を突破し、2015年3月には1ドル120円を上回っている(月平均)。その後、1ドル120円台は2015年12月まで続いたが、前述したように2016年に入って急速に円高が進んできているのだ。
円高の要因は、日本銀行による金融緩和の効果が次第に弱くなっていること、そして、アメリカの利上げのペースが予測より緩やかになってきたことだ。市場は4月~5月の日銀の金融緩和を期待したが、日銀は動かず、それも円高を加速することになった。
アメリカは雇用状況が予想より悪かったことなどもあって利上げには慎重になってきている。ドル高・円安は日銀の積極的金融緩和とアメリカの利上げ期待を背景に進んできたのだが、その双方のペースが緩み、円安局面は終焉したのだった。
急速な円高の進展を受け麻生太郎財務大臣は「一方的に偏しており、さらにこの方向に進むのは断固として止めなければならない」と発言し、さらに「一方的に偏った状況が続くのであれば為替介入の用意もある」として介入の可能性を示唆している。
しかし、為替介入は相手方の了解も必要だ。アメリカの了解なしに介入することは実際問題としては不可能に近い。もし、アメリカの了解なしに介入してもその効果は極めて弱いものになってしまうだろう。
筆者も1995年、円ドルレートが1ドル79円までの円高になった時為替介入を行ったが、この時は日米協調介入。アメリカ側もドル安に懸念を持っていたので協調が可能だったのだ。
当時のアメリカ大統領はビル・クリントン。クリントン政権は当初貿易赤字解消のためにドル安政策をとっていたが、1995年ロバート・ルービンが財務長官に就任するとドル高政策に転換、時の財務副長官ローレンス・サマーズも積極的にドル高政策を実行したのだった。日本は円安を、アメリカがドル高を指向し、両者の為替に関する政策は一致することになったのだった。
ローレンス・サマーズは筆者がハーバード大学の客員准教授として日本経済論を講義した時(1980~81年)からの旧知の仲。日米の政策が一致していたことがベースにあったのだが、二人のコミュニケーションはスムーズに進行し、協調介入が実現することになったのだった。
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