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グローバリゼーションのブローバック(反動)

是正には「政治革命」が必要だ

齋藤進 三極経済研究所代表取締役

「ブローバック」……意図せざる反動・結末

 日本、中国などの東アジア研究で知られたカリフォルニア大学(サンディエゴ校)の故チャルマーズ・ジョンソン教授は、2001年9月11日のいわゆる9・11事件の直前の2000年に、「ブローバック(吹き返し・反動):米帝国のコストと結末( Blowback: The Costs and Consequences of American Empire)」と題する書を公刊した。「アメリカ帝国への報復」と題した翻訳本も出ているので、読まれた方も少なからずいよう。

 同書によれば、ブローバックとは、米帝国の世界支配の維持のために、世界中で実行されている米国の諜報機関などによる隠密裏の工作活動が、意図しなかった反動・結末、結果を生むということを意味するという。米国の諜報機関の世界での用語という。

 9・11事件に際しても、大多数の米国民は、米国は自由と民主主義を世界に拡大する良い活動をして来たと信じていたという。したがって、イスラム教徒による米国への大規模な「テロ」は許せない、徹底的に反撃すべきだとの世論が圧倒的な多数を占めた。少しでも疑問を挟む者は、超有名な報道関係者も含め、「非国民」扱いをされたのが実情であった。

 米国の海外での隠密裏の工作活動は、隠密裏であったからこそ、大多数の米国の国民は、米国政府のすることは善と、無邪気に信じていた訳である。

 そうではない、米国の国民には知らされていない多くの海外での隠密裏の工作活動が、その意図には反して、米国に対する憎悪を醸成し、米国本土に対する報復・反撃を呼び込む場合があると指摘したのが、故ジョンソン教授であった訳である。

 本論では、最近40年近くの世界経済のグローバリゼーションに対するブローバックという切り口で眺めると、米国でのトランプ・サンダース現象、イギリスでの欧州連合離脱か否かの国論を2分する動き、欧州での移民排斥を掲げる極右政党の台頭、日本での「ヘイト・スピーチ」に代表される排外的な潮流などを、統合的に理解する視点が浮かび上がるのでは、という論点を展開したい。

経済自由化の「ブローバック」

 グローバリゼーション(Globalization)という言葉が、経済の世界で頻繁に使われるようになったのは、1980年代のことであった。

 この言葉は、経済用語としては、必ずしも明確に定義されている訳ではない。一般的には、国際的な貿易、資本移動、移民などの人の移動、知識・技術の移動などの自由化・拡大を通じて、世界の各地域の(国民)経済が、その間の結合度が様々な次元で高まり、一体化され、世界の経済発展が招来される過程と理解されていたといえよう。

 要するに、国内経済も、国際経済も、自由な市場経済に委ねれば、全てがうまく行くという、米国、イギリスなどで1980年前後以降に隆盛になった「市場経済万能主義」が、グローバリゼーションという表現の背景であったと言えよう。

 「改革」、「規制緩和」などの美名の下で、国内、国際間の貿易、資本移動、人の移動、知識・技術の移動の自由化が進展すると、10年、20年、30年などの長期では、実際には何が起きたか。

 先進経済国の労働者にとっては、グローバリゼーション、経済自由化の推進に対するブローバックと形容できる現象がオンパレードとなったと言えよう。

 自由化が進展すれば、貿易では、廉価な外国品の輸入が増える。相対的に割高な国産品の製造者(企業)・労働者の淘汰が進展する。資本は高い利潤率を求め、人は高い賃金率を求めて、国際間を移動するようになる。

 その結果、経済活動が活発になり、経済合理化が進展し、市場経済万能論者が主張するように、全てがうまく行っているように見える。しかし、国民経済の中における個々の立場によって、利益を得るか、不利益を被るかは、全く異なる。

 先進経済圏の消費者の立場では、廉価で上質な輸入品を享受できれば、自己の所得の実質的な価値が上がり、利益を受ける。

製造者・労働者と資本を支配する者

 しかし、廉価で上質な輸入品と競合する先進経済圏の国産品の製造者・労働者にとっては、利潤率・賃金率が圧迫される。最悪の場合には、市場から淘汰されることもある。反対に、廉価で上質な製品を、先進経済圏に輸出できるようになった新興経済圏の生産者にとっては利潤が増大し、労働者にとっては、雇用機会が拡大し、賃金率も増大することになる。

 資本を支配する者にとっては、国際間の資本移動の自由化は、資本の利潤率が高い新興経済圏に投資して、自己の資本の利潤率を最大化する機会を得る。国内的にも、貿易自由化で賃金率が抑圧されている状況下では、輸入品と競合しない新規産業に投資すれば、高い利潤率を享受できる。また、資本移動の自由化を活用して、国内の生産設備を、賃金などの生産費が低い新興経済圏に移転し、そこで出来た製品を、高く売れる先進経済圏で販売すれば、資本の利潤率を高められる。

 この国際投資を通じて資本の利潤率を上げるためには、北米自由貿易協定(NAFTA)、環太平洋経済連携協定(TPP)などによって、自由貿易の推進、国際資本移動の一層の円滑化が推奨されることになる。

 しかし、この自由化の過程で、米国の製造業の雇用機会は、1980年前後の2000万近くから、最近では1200万余りまで、800万近くも減少した。日本でも、製造業の雇用機会は、1990年代前半の1600万余りから、最近では1000万前後にまで、600万余りも減少している。米国でも、日本でも、多くの製造業の労働者、企業が淘汰された訳である。

 製造業から淘汰された労働者が、他の産業分野で、賃金率が高い雇用機会に恵まれていれば問題がない。しかし、現実に起きて来たのは、米国、日本の労働者にとっては、自由化を推進した市場経済万能論者などが期待させたのとは、全くアベコベの結果であった。

 米国では、1980年代初め以降の35年間余りでは、実質賃金の中位数の水準は全く上がらず、長期低迷が続いている。日本では、1990年代の半ば以降では、実質賃金率は約14%もの大幅な低下を見ている。

 しかし、労働に帰属する雇用所得は低迷しているが、資本に帰属する資本所得をも併せた国民総所得(=国民総生産、GNP)は、実質ベースでは、日米両国で堅調な成長を示して来た。

 これに、所得に課される所得税の累進性が、超高額所得者に有利なように大幅に緩和され、大減税されれば、その30年間余りの累積効果は、所得・資産分布が極端に不平等になるという社会の大分裂を招来したのは、当然の帰結であろう。国家財政にとっても、税収不足から財政赤字が累積することになった訳である。

 自由化などによる国際間の労働者の移動は、当然の事ながら、新興経済圏などの賃金率の低い国から、先進経済圏などの賃金率が高い国へとなる。

 先進経済国の労働者にとっては、外国人労働者の流入は、労働供給を増やして、賃金率に下押しの圧力を加えるものである。初めから、歓迎できる事ではない。先進経済国の景気が悪化して、労働に対する需要が低迷・縮小すれば、賃金率への下押し圧力は一層と明瞭になる。先進経済国の自国労働者と外国人労働者(移民労働者)との間では、経済的利害の対立は先鋭化することになる。

人種・民族・宗教的「差別」の根底にあるもの

 異なる人種的、民族的、宗教的な背景などによる「差別」も、根底には経済的な利害の衝突がある。

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