少なくとも戦後の日本は非階層社会で、極めて平等な国である
2017年01月17日
今から四半世紀前、1990年から1996年にかけて司馬遼太郎は「この国のかたち」(文芸春秋)を書いている。司馬は第一巻のあとがきで次のように述べている。
「私は、日本はたとえばブータンやポーランドやアイルランドなどと比べて特殊な国であるとは思わないが、ただキリスト教やイスラム教、あるいは儒教の国々よりは、多少、言葉を多くして説明のいる国だと思っている」
かなり慎重ないい方だが、日本が独自の文明を持ち、ヨーロッパや中国、インド等とは異なった展開をしてきた国だと言っているように思える。
山折哲雄は「日本文明とは何か:パクス・ヤポニカの可能性」(角川書店・2002年)の中で、日本が平安時代・江戸時代と、世界史上にもまれな長い平和期を築いたのは、国家と宗教がかみあった固有の政治システムや神仏共生にもとづく多元主義、独自の貴族趣味のためであると論じている。
日本は奈良時代から平安時代にかけて、独自のシステムを神仏習合と天皇制のもとに築きあげていったといえるのだろう。こうした制度をつくりあげていったのは空海(弘法大師)だといわれている。空海は日本伝統の宗教である神道と中国から移入された仏教を前七日、後七日(前七日は神道、後七日は仏教)のようなシステムで両立させ、その上に天皇制を乗せていったのだった。仁明天皇の834年、空海62歳のとき、宮中に「真言院」を建立し、神仏習合の儀式の上に天皇制を定着させていったのだった。
ヨーロッパの中世はまさに宗教をめぐる戦争の連続だったのだが、日本では新旧の宗教を併存させ、その上に政治が乗るという、政治と宗教をうまく共生させていったのだった。天皇は大和朝廷の時代は権力を持っていたが、奈良時代・平安時代に入ると権力は藤原氏等の貴族の手に移り、天皇は権威としてその上に祭り上げられたのだった。権威と権力の分離だが、これもまた、日本独自のユニークなシステムだったということができるのだろう。
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