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英国民投票と「ポスト・トゥルース」の実態

両陣営の誇張表現に振り回された国民は、最後に「感情」を選択した

小林恭子 在英ジャーナリスト

フェイク・ニュースとポスト・トゥルース

オックスフォード出版局は「ポスト・トゥルース」を2016年の言葉として選んだ(ウェブサイトより)拡大オックスフォード出版局は「ポスト・トゥルース」を2016年の言葉として選んだ(ウェブサイトより)

 英オックスフォード出版局は昨年11月、「ポスト・トゥルース」(ポスト真実)を2016年に最も注目された言葉であると発表した。

 「フェイク・ニュース」(にせニュース)の氾濫が問題視されているが、ポスト・トゥルースは、ある情報が真実かうそかを重要視しない状況を表す。昨年6月の英国のEU加盟残留の是非を問う国民投票や後半の米大統領選で、特に使用頻度が増したという。

 EUからの離脱を決定した英国でどんなポスト・トゥルース旋風があったのだろうか。

 最初に、言葉の整理をして置こう。

 フェイク・ニュースは簡単に言えば「デマ」だが、目的別には少なくとも二つに分かれると見てよいだろう。

 一つは、収入を得ることを目的として制作・拡散される場合だ。米バズフィードが調べたところによると、東欧の若者たちが米大統領選について事実に基づかないニュース記事を作成し、数万ドル規模の広告収入を得ていたという。

 もう一つは、個人、組織、国などが自己の主張を宣伝・拡散する場合だ。事実に基づかない情報でも目的達成のために拡散させる。

 オックスフォード辞書によると、「ポスト・トゥルースな」(形容詞)状況とは、「感情や個人の信念の方が客観的な事実よりも世論形成に影響を与える状況」を意味する。

 英国の国民投票の選挙戦がまさにこうだった。政治家の言葉が、それが客観的事実には反することであっても「この人は本当のことを言っている、自分の気持ちを分かってくれる」と思わせてくれるため、支持者の心にすっと入ってきた。離脱派は国民感情に訴えて支持者を増やし、最終的に勝利につながった。

 メディアが躍起になって「ファクトチェック」(事実かどうかを確認する)を行い、紙面や番組、ソーシャルメディアを使って客観的事実を拡散しても、支持者の頭には入っていかなかった。証明された事実よりも、信頼する政治家の言動を信じてしまうからだ。

 政治家がうそを言うのは昔から珍しいことではないが、政治家の発言の真実らしさが重要視され、事実(あるいは真実)が2番手に置かれている。これは新たな状況と言えるのではないか。

 英ニュース週刊誌「エコノミスト」の観察によれば、米国を含めた世界中で「事実よりも感情を重要視し、うそをつくことについて以前よりは抵抗が少ない政治へのシフトが起きている」(2016年9月10日号)という。

 かつては、政治家のうそは真実を隠すためのものだった。その裏には、語られるべき真実があったし、語るべき真実を語らずにいるという自覚があった。しかし、この「自覚」が消えている、というわけである。

「選択的事実」の時代?

トランプ米大統領の就任式を伝える英各紙の1面は多様な論調を出している拡大トランプ米大統領の就任式を伝える英各紙の1面は多様な論調を出している

 米国では、フェイク・ニュース、ポスト・トゥルースの一歩先ともいえる現象が起きている。

 「もう一つの事実(オータナティブ・ファクト)」という世界である。

 例えば、米主要メディアは1月20日の大統領就任式への市民の参加者について、今回はオバマ場氏の就任式(2009年)よりも大幅に少なかったと報じた。これに対し、トランプ氏は「うそだ」と反論した。

 正確な数字は分からないものの、トランプ氏とオバマ氏の就任式の写真を二つ並べてみると、その差は歴然だ。それでも、スパイサー報道官は「過去最大」の人数が参加したとして、メディア報道を非難した。参加者が少ないことははっきりとしているのに、あえて過去最大の参加者数であるという。これが「もう一つの事実(オータナティブ・ファクト)」だ。

 フェイク・ニュース退治にメディアが奔走する中、米国では「作られた事実」とも言えそうな「もう一つの事実」を政界トップが発信するようになっている。

 ひるがえって英国では、もっぱら自分が感じることを事実と見なすトランプ氏のような政治家は、政権のトップには就いていない。英国のEUからの離脱=ブレグジット=の実行を最大の政治目的とするメイ英首相は目をしっかりと見開いており、虚実の区別がつかないことはないだろう。もし事実・真実への敬意に欠けていれば、下院議員にさえなることはできなかっただろう。

 しかし、英国で昨年6月に行われた国民投票は、典型的なポスト・トゥルースの政治であった。

多彩・多様な情報に振り回された英国民

全国の開票結果を発表する選管の統括責任者ジェニー・ワトソンさん=2016年6月24日、マンチェスター拡大

 英国の有権者が離脱を選んだ理由は多岐にわたる。

 もともと根強い反EU感情(官僚主義の権化としてのEU)、独立独歩でもやっていけるという自負心、人・モノ・資本・サービスの自由化というEUの原則の下、無制限にやってくるEU移民に対する嫌気感などに加え、残留を勧めるキャメロン政権(当時)及び議員を含む社会の支配層(エスタブリッシュメント)への反感があった。

 選挙戦は熾烈(しれつ)を極めた。残留派陣営をキャメロン首相が、離脱派陣営をボリス・ジョンソン元市長やマイケル・ゴーブ司法相(両者ともに役職名は当時)が率いた。離脱陣営の中には正式には入っていなかったものの、1990年代から英国のEUからの脱退を求めてきた英国独立党(UKIP)のナイジェル・ファラージ党首(当時)も離脱運動で英国各地を回った。

 二大政党制を敷いてきた英国では、与党側と野党側の政治家同士の議論が非常に活発だ。通常は下院を舞台にするが、報道番組にそろって出演し、互いをやり込める。メディアによるインタビューもかなり手厳しい。次々と投げかけられる質問によどみなく答えることがどの政治家にも要求されている。

 自説を雄弁に語ることに長けている政治家が、残留か離脱かの2手に分かれ、議論を展開したらどうなるか。

 結果は、議論の上ではどちらも優劣つけがたく、国民はどちらを取るべきかの選択に窮することになった。

 両陣営の話を聞けば聞くほど、「混乱する」、「どっちにしたらいいのかわからない」と困惑する市民の様子をテレビが何度も映し出した。

 インターネットの普及、ソーシャルメディアの人気によって、私たちは様々な情報に触れることができるようになったが、情報が多様で多ければ多いほど、真実・事実が見えにくくなる側面もあるのではないか。

誇張は両陣営にあった

 両陣営とも、有権者の心をとらえるため事実を誇張した表現を多用した。英国外では離脱派が不正確な情報を有権者に提示したという報道を見かけるが、実際にはどちらも同程度の誇張表現を使っていた。

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筆者

小林恭子

小林恭子(こばやし・ぎんこ) 在英ジャーナリスト

秋田県生まれ。1981年、成城大学文芸学部芸術学科卒業(映画専攻)。外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州のメディア事情や政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。「新聞研究」(日本新聞協会)、「Galac」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。著書に『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新書)』(共著、洋泉社)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)。

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