児童虐待への対応で位置づけが一転、専門職の配置促進が課題
2017年02月24日
支援学級に通っていた中学生の女の子は、不登校になった。
その子の両親は、いわゆる「モンスターペアレント」で、学校側からの接触に応じる姿勢を示すことはなく、必要な支援策を提示することもできなかった。そこで女の子が通う学校から、児童相談を専門とする彼女に相談があった。彼女が家庭状況を聴き取ってみると、その家庭では夫から妻へのDV(ドメスティックバイオレンス)が頻発し、また、母親には精神疾患があり、軽い知的障害も見られた。その後、両親は離別、母子は生活保護を受けることになったが、母親は子育てができず、女の子に対する虐待リスクが高いことが発覚した。彼女は児童相談所と協議し、中学3年生になったその子を緊急一時保護とした。そして女の子は一時保護を繰り返したのち、児童養護施設へ入所し、彼女は両親に代わって面会に訪れた。
彼女は、関西地方のある市に勤務する家庭児童相談員である。採用形態は、特別職の非常勤嘱託職員で、1回の任期は1年、3年目で公募試験を受けなければならないが、この仕事に就いてまもなく13年が経過する。社会福祉士、精神保健福祉士、特別支援教育士の資格をもつ。仕事内容は、大きく括ると、18歳までの児童に関する相談全般であり、発達障がい児の家族支援をはじめ、虐待のおそれのある家庭の保護者の精神疾患のケア、ひとり親、困窮家庭,DV、不登校といった複数の課題をもつ家庭の支援に走り回る。
毎年80~90件の新規相談のほか、150~200件ほどの継続事案に対応する。虐待されまたは虐待のおそれのある要保護児童の家庭を見守り、児童の安全を確保することも重要な任務のひとつである。そのために学校、警察、児童相談所などの関係機関等により構成され、要保護児童及びその保護者に関する情報の交換や支援内容の協議を行う、月1回の要保護児童対策地域協議会を主催する。
「児童虐待といわれるものは、ある日突然に起こるのではない。保護者が育ってきた養育環境が自分の子育て観に影響し、それが日々の食べる、眠る、遊ぶ、学校へ行く、働く、人と関わるという日常の生活に反映し、その延長線上に児童虐待が発生する。私たちの仕事は、だから、家族の営みに触れ、そこに共感し、その家族の価値観を共有し、その家族との距離を近づけるところから始めなければならない」と彼女は語る。
彼女が勤務する家庭児童相談室は、道府県市(東京都・区は該当なし)の福祉事務所を中心に全国に855室があり、家庭児童相談員は1,623人が配置されている。そのうち非正規公務員は1,513人(93%)、女性が86%を占める(注1)。
注1 全国家庭相談員連絡協議会調べ(2015年度)
いま、家庭児童相談室などの市町村の児童相談行政の現場は、児童虐待への対応で揺れている。後に述べるように、2005年度以降、児童相談所だけでなく市区町村も児童虐待相談に対応する機関と法的に位置づけられ、たとえば2014年度の児童虐待相談対応件数は、児童相談所の8万8931件に対し、市区町村は8万7694件でほぼ匹敵している。ところが市町村では、非正規化が進むなかで専門職の確保も難しく、対応に苦慮している実態にある。
あらゆる児童相談行政は、1947(昭和22)年の児童福祉法の制定以降、都道府県及び政令指定都市に設置されてきた児童相談所で執行されることが基本とされ、市町村の関与は想定されてこなかった。
市町村が児童相談行政に関わることになったのは1964年のことである。この年、厚生省(当時)が、「家庭児童相談室の設置運営について」(昭和39年4月22日付厚生省発児第92号厚生事務次官通知)を出し、市の設置する福祉事務所及び都道府県の設置する郡部の福祉事務所に家庭児童相談室を設置することになった。ただし家庭児童相談室の業務は、「家庭における適正な児童養育、その他家庭児童福祉の向上」であって、旧来からの「児童相談は児童相談所」という枠組みを変更することなく、あくまでも児童相談所の補助機関的な扱いであった。それは、当時すでに逼迫していた児童相談所の業務を緩和するために、一般家庭における養育上の相談業務を市や都道府県の福祉事務所に担わせることを目的としていたからである。
1964年の厚生事務次官通知では、家庭児童相談室の職員体制にも触れている。そこでは家庭児童相談室の職員は、「家庭児童福祉に関する専門的技術を必要とする業務を行なう」ものとし、社会福祉主事及び家庭児童福祉に関する相談指導業務に従事する職員(以下「家庭相談員」という)を配置するとした。このうち、社会福祉主事は、社会福祉主事たる資格を有する常勤の正規職員を配置するとしたのに対し、家庭相談員は、その資格については、①大学において、児童福祉、社会福祉、児童学、心理学、教育学若しくは社会学を専修する学科又はこれらに相当する課程を修めて卒業した者、②医師、③社会福祉主事として2年以上児童福祉事業に従事した者等の専門的な知識や資格を要するとしたものの、その身分は「都道府県又は市町村の非常勤職員」(上記厚生事務次官通知)で、加えて「都道府県又は市町村の非常勤の特別職として取扱うようにされたい」(昭和39年4月22日付児発第360号厚生省児童局長通知)というものである。
1964年の家庭児童相談室の設置から今日に至る50年以上の長期にわたり、家庭児童相談員は非常勤職に押しとどめられている。その端緒となったのが、1964年の上記の2つの通知だったのである。
一方、この50年以上の間に、児童相談行政は大きく変貌した。児童虐待件数が悲惨なまでに増加し、これにともない児童相談に関する市区町村の位置づけが変わったのである。
まず2000年には、議員立法の「児童虐待の防止等に関する法律」が施行し、住民からの通告義務などが規定され、2004年の児童福祉法の改正では、児童相談を市町村の業務と位置づけるとともに、市町村は「児童及び妊産婦の福祉に関し、家庭その他からの相談に応じ、必要な調査及び指導を行うこと、並びにこれらに付随する業務を行うこと」とし(児童福祉法10条1項)、要保護児童の通告先としても追加され(同法25条)、市町村のみの対応では困難であるケースについては児童相談所へ送致し、または助言を求め(同法10条2項)、児童相談所は後方から市町村を支援するための助言等を行う(同法11条)こととなった。すなわち市町村は、児童相談の第一義の窓口となり、子育てに関する全般的な相談に対応するとともに、虐待の未然防止や早期発見につとめ、虐待されまたは虐待のおそれのある要保護児童(同法6条の3)の状況を調査し、要保護児童ならびに保護者に対する援助を実施し、一時保護所等を退所した児童について関係機関と連絡を取りながらアフターケアを進めるなど、児童虐待への対応も進めることになったのである。
2004年改正児童福祉法は翌年4月1日に施行した。この時点で家庭児童相談室は、福祉事務所を中心に全国に設置されており、改正法施行を控えて出された厚生労働省雇用均等・児童家庭局長通知(注2)でも、家庭児童相談室との連携が強調された。
注2 「市町村児童家庭相談援助指針について」(厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、雇児発第0214002号、平成17年2月14日)7頁。
市町村を児童相談の第一義窓口とする改正児童福祉法について、当時の市町村の家庭児童相談担当者は、これを「2005年ショック」(注3) と称するほど、衝撃的な事件と捉えた。それは、児童相談の第一義的相談窓口として市町村が位置づけられたのに加え、児童虐待への対応までも市町村の役割となったからである。とりわけ多くの市で児童相談の主体であった家庭児童相談室と非常勤職員として雇用される家庭児童相談員にはこの影響が大きく、いつの間にか、膨大かつ責任の重い仕事がのしかかってきたと感じられた。
注3 志村浩二(三重県亀山市子ども総合センター専門監)の表現。同「市町村における児童家庭相談の実態と今後の課題」『子どもと福祉』(2)2009.7、72頁参照。
改正法に基づく新たな児童相談窓口の設置場所について、家庭児童相談室を設置していた市区ではこの組織を中核にするなどの体制整備を進めたようで、
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