この地域が育んできた多文化主義を尊重することが「ニュー・バングラデシュ」のカギ
2017年03月27日
今年2月、バングラデシュを13年ぶりに訪問した。前回、訪問した2004年は、風水害対策に日本政府の途上国援助(ODA)で建設されたサイクロン・シェルター(避難所)がどれだけ役立ってきたか、援助効果を調査するものだった。今回、首都ダッカを久しぶりに訪れると、いくつもの変化に「浦島太郎」の気分を味わった。増え続ける車と高層ビル、そして新しい産業が育ってきたことだ。
バングラデシュの基幹産業は、衣料品・縫製業だ。中国に次ぐ世界第2の輸出額を誇る。バングラデシュの外貨収入の8割以上を稼いでいるが、野球で言えば「4番打者が一人で長打を連発している」ような状態だ。
いずれ労賃が高騰すれば、グローバル企業からの注文は他国に転じていくだろう。このため、政府は造船や観光業など産業の多角化を図っている。その中でめきめき力をつけ、「上位打線」にのし上がってきたのが、製薬産業である。
ダッカ郊外にある現地資本の最大手、スクエア製薬の本社を訪ねた。「ここが本当にバングラデシュか」と思うほど、モダンな社屋だ。防塵(ぼうじん)服を着てクリーンルーム内の製薬工場に入った。
ドイツ製、イタリア製の最新型の遠心分離装置や混合工程の機械がくるくる回転し、最終工程では毎時10万個以上の医薬品カプセルを生産していた。1958年創業の同社は今、約3000人の社員を抱え、後発薬など900種以上の医薬品を生産し、123カ国に輸出している。「近い将来、ケニアに進出し、アフリカ市場を見渡した現地生産に乗り出す」と、アマレシュ・ショメ副工場長は力強く語った。
バングラデシュの製薬業界は約280社あり、急成長している。強みは、割安な人件費だけではない。政府の育成政策のほか、知的所有権に関する世界の貿易ルールを定めた「TRIPS協定」が追い風になっている。バングラデシュは2032年まで後発開発途上国(LDC)として医薬品特許料の支払いが免除される。インドの製薬業界の躍進を支えたのも、この優遇措置だった。日本の医薬品メーカーもニプロ(本社・大阪市)がバングラデシュの製薬会社を買収するなど、進出の動きがある。
1971年にパキスタンから独立したバングラデシュは、建国50周年の2021年までに「中所得国入り」を目標に掲げている。独立前はパキスタンに産業を牛耳(ぎゅうじ)られていたため、独立後も経済はどん底状態が続いた。だが、近年は年率6%以上の経済成長を保っている。1億6000万人の人口構造は若く、生産年齢人口が今後約40年は増え続ける見通しだ。中間層の人口は6000万人と言われ、消費市場の拡大が期待される。
「貧困」「水害」「クーデター」といった負のイメージを払拭(ふっしょく)し、「ニュー・バングラデシュ」へ脱皮するのが、同国の悲願だ。それには外国投資と経済援助をテコに、貧弱なインフラを改善し、国際競争力のある産業の育成が急務だ。そんな矢先に起きたのが、悲惨なテロ事件だった。
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