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グローバル経済の行方、カギを握るのはアジア

通貨危機から20年、「アジア版IMF」で再発の懸念は薄らいだが……

竹内幸史 ジャーナリスト

 1997年7月に東アジアを襲った「アジア通貨危機」から今年で20年になる。

 国が若く、経済構造もひ弱だった東アジア諸国は、通貨危機を大きな転機に経済改革に努め、再発防止に備えてきた。「通貨危機後の20年」が何を生み、何を残したのか、アジアの人々の声を聞きながら考えてみた。

スハルト体制崩壊と経済破綻からの回復

通貨危機を振り返るインドネシアのムルヤニ財務相=5月4日、横浜市通貨危機を振り返るインドネシアのムルヤニ財務相=5月4日、横浜市

 5月初旬、アジア開発銀行(ADB)の第50回記念総会が横浜市で開かれた。1966年に日本の主導で設立されてから半世紀、アジア諸国の開発を支えてきた国際金融機関である。

 筆者は、10年おきに日本国内で開催される総会には1987年の大阪総会以降、97年福岡総会、2007年京都総会と、取材に参加してきた。加盟する47カ国・地域から財務省、中央銀行や金融関係者らが集まる会議の雰囲気からは、アジアが直面する課題と年々の変化が伝わってくる。

 5月4日、横浜市の会場で開かれた「アジア通貨危機から20 年」についてのシンポジウムで基調報告をしたのは、インドネシアのスリ・ムルヤニ・インドラワティ財務相だ。世界銀行の最高執行責任者(COO)と専務理事を務めた辣腕(らつわん)の経済学者だ。同国で大胆な税制改革と腐敗との戦いを断行し、税収の増加を達成したことから、「アジアの鉄の女」とも呼ばれる。

 「20年前の通貨危機で、わが国が崩壊寸前だったと大学の授業で話しても、学生たちはキョトンとしている。当時は1~2歳だったのだから仕方ないけれど、通貨危機の経験をきちんと親に聞いておくように言っているのよ」と、ムリヤニ財務相はいう。

 1997年7月に起きたタイ・バーツの暴落をきっかけに、翌98年にかけて東南アジア各国と韓国などに通貨危機が及んだ。最大の打撃を受けた国は、インドネシアだった。銀行の取り付け騒ぎや華人系銀行の焼き打ちも起き、30年以上も独裁を奮ったスハルト政権はあっけなく倒れた。

 インドネシア通貨のルピアは一時80%以上も下落し、インフレ率は60%近くに達し、貧困率は2割以上に倍増した。経済成長は98年にマイナス13%というどん底を経験した。ジャカルタの街では公共事業やビルの工事が中断し、あちこちで止まったまま屹立(きつりつ)するクレーンの姿は不良債権を象徴する光景になった。

 その後、同国政府は、危機以前にはドルペッグ制か管理フロート制だった通貨政策を変動相場制に改め、財政改革とガバナンス改善、銀行監督の強化、不良債権の処理に取り組んだ。中央銀行の独立、金融サービス庁の分離、預金保険機構の設立も進めた。

 ムルヤニ財務相は「グローバル経済に統合されることは大きなリスクを伴うが、通貨危機の教訓を生かして予防措置を取ったため、2008-09年のリーマン危機では同じ過ちを繰り返さずに済んだ」と語った。現在、インドネシアは初の庶民宰相のジョコ・ウィドド政権下で、この数年5%前後の好調な経済成長を保っている。

危機防止に「アジア版IMF」設立

マクロ経済分析を報告するAMROの記者会見=5月4日、横浜市内マクロ経済分析を報告するAMROの記者会見=5月4日、横浜市内

 こうして各国が20年がかりで財政や金融政策の改革を進め、通貨政策は変動相場制に改めた。アジア資本市場の厚みを増すため、自国通貨建ての債券市場の育成にも努めてきた。

 その一方、東アジアの多国間協力として、日中韓とASEANの計13カ国が危機再発防止策に取り組んできた。そこで生まれたのが、危機時の短期資金を融通し合う「チェンマイ・イニシアティブ」(CMI)だ。ドルで資金を借りた国は通貨危機に遭った時、域内国の協力で「ドル売り・自国通貨買い」の介入を実施し、自国通貨安を抑える効果がある。

 これは、2000年にタイ北部で開かれた日中韓とASEANの財務相会議で、外貨準備を使って短期的な外貨資金の融通を行う通貨スワップの取り決めだ。当初は二国間の仕組みだったが、2010年にはこれを多国間の仕組みである「チェンマイ・イニシアティブ・マルチ化(CMIM)」として発足させ、支援の迅速化を図った。

 これに伴い、スワップの資金総額は徐々に増え、現在は2400億ドルに拡大された。スワップの発動条件はIMFの条件に沿っているが、スワップ資金の30%までは国際通貨基金(IMF)の承認がなくとも、アジアの加盟国の独自判断で発動できる。

 さらに重要なのは、チェンマイ・イニシアティブ強化の一環として、域内経済の分析と監視に「ASEANプラス3マクロ経済リサーチオフィス(AMRO=アムロ)」という組織ができたことだ。

 国際機関として2016年に発足し、シンガポールに本部を置く。これによって、短期資金の動きを見守る監視機能(サーベイランス)が強化され、通貨危機時にはチェンマイ・イニシアティブを発動する判断が迅速化されることから、「アジア版IMF」とも呼ばれる。

 AMROは日中両国が最大出資国で、中国と日本の出身者が交代で所長に就任する仕組みになっており、「日中両国が協調する国際機関」として期待を集めている。

  もともと20年前の通貨危機時にはIMFの支援が硬直的で、国ごとの状況に応じた柔軟かつ迅速な対応ができず、アジア諸国に強い不満がみなぎった。チェンマイ・イニシアティブのスワップ資金にIMFの承認がなくとも発動できる30%の独自枠を設けたのも、IMFの支援に頼らずに域内国で素早い対応を重視したアジア側の思いが反映されている。

 かつて日本は通貨危機時に当時の榊原英資財務官が「アジア通貨基金(AMF)」の設立を提案し、ASEANの支持を得たが、米国の反対を受けて断念した経緯がある。AMFは通貨危機から20年近い時を経て、「形を変えて生まれた」とも言える。

消えた「アジア共通通貨」構想

 その一方、通貨危機を教訓に浮上していた「アジア共通通貨」の構想は、すっかりしぼんだ。

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