2017年06月16日
今日よりよい明日はないというのはポルトガルの言葉だという。
衆知のように、ポルトガルは15世紀から16世紀にかけて世界の海を制覇した国だ。1498年、ポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマは、アフリカの喜望峰を経由してインド東岸に達し、アジア進出をはたしたのだ。
1549年にはフランシスコ・ザビエルが日本を訪れてキリスト教の布教活動を行い、これを契機に、織田信長らの庇護(ひご)のもとに南蛮貿易が開始され、1582年には九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として4人の少年がポルトガル・スペイン・イタリアに派遣されている。
南蛮貿易には豊臣秀吉も積極的だったが、江戸時代に入ると、徳川幕府はキリスト教の布教を禁じ、1633年から5次にわたる鎖国令を発し(1633~39年)、ポルトガル船の入港を禁止した。オランダだけは長崎の出島での交易が許され、江戸時代唯一の日本の世界への窓口になったのだった。
さて、ポルトガルは1500年にはブラジルを植民地化し、16世紀にはスペインとともに2国でヨーロッパ以外の世界を分割して覇権を唱えるなど、比類なき権勢を誇ったのだった。ポルトガルのピークは16世紀、まさに今日よりよい明日はないといった繁栄を享受したのだった。
しかしその後、ポルトガルとスペインは、イギリスやオランダなど新興海洋国の勃興によってしだいに力を失い凋落(ちょうらく)していったのだった。長い16世紀(1450~1640年)はまさに中世が終焉(しゅうえん)し、イタリア諸都市等から新しい近代の息吹が感じられ始めた時期でもあった。
そして、今、長い21世紀に近代資本主義が終焉(しゅうえん)し始めているのだ。資本主義の時代、世界は新しいフロンティアを次々と開拓し、「より速く、より遠くへ、そしてより合理的」に世の中を変えてきたのだった。しかし、地理的にも産業的にも新しいフロンティアはほぼ開発しつくされ、もはや、より速く、より遠くへ進むことはほとんど不可能になってしまったのだ。
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