東京電力刑事裁判で問われている点と裁判に望むこと
2017年07月06日
「経営」を「安全」に優先させたのか?――東京電力福島第一原発事故をめぐり、強制起訴された旧経営陣3人の刑事責任を問う裁判が6月30日、東京地裁で始まった。
最大の争点は、原子力部門を統括した元副社長の武藤栄被告らが2008年ごろ、事故につながる巨大津波を予見していたのではないか、そして有効な対策を取れたのではないか、ということだ。その判断に、もしかすると当時の東電の経営状況が影響したかもしれない。筆者の関心は、そこにある。
というのも、東電は07年7月に起きた新潟県中越沖地震により柏崎刈羽原発が運転を停止し、当時、とても経営的には苦しくなっていた。それで巨額の費用が必要になる防潮堤の建設をためらったのでは、という疑念が膨らんでしまうのだ。
以下、こうした視点で、30日の初公判で語られたことなどを整理してみる。
まず、検察官役の指定弁護士は冒頭陳述で、東電の土木調査グループの担当者らは2008年(以下、年を省略)1月11日、子会社の東電設計に津波の評価を委託。東電設計は3月18日、明治三陸沖地震の波源(津波の発生源)モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合、津波の最大値が15.7メートルになるとの試算結果を示した。
さらに、東電設計は4月18日、海抜10メートルの地盤上に高さ10メートルの防潮堤を設置すべきだ、とする対策を報告したという。
そこで東電の土木調査グループの担当者らは、この東電設計の検討結果が、「大がかりな対策を必要とする内容であり、予算上だけでなく、地元等に対する説明上も非常に影響が大きい問題」だとして、6月10日、武藤被告にその検討内容等の資料を準備して報告した、という。
これを受けた武藤被告は7月31日、「どのような波源を考慮すべきかは、時間をかけて(産官学の土木技術者による)土木学会に検討してもらう」との方針を指示。これが、「それまで土木調査グループが取り組んできた10メートル盤を超える津波が襲来することにそなえた対策を進めることを停止することを意味していた」と主張した。
この試算結果について、指定弁護士は、武藤被告が8月上旬ごろに元副社長の武黒一郎被告に報告した、とした。また、翌09年2月11日、元会長の勝俣恒久被告も参加した社内会議で、当時の設備管理部長が「もっと大きな14メートル程度の津波がくる可能性がある人もいて」などと発言していたことを明らかにした。
こうして指定弁護士は冒頭陳述の最後、「被告人らは、何らの具体策を講じることもなく、漫然と本件原子力発電所の運転を継続した」とし、「被告人らが、費用と労力を惜しまず、課せられた義務と責任を適切に果たしていれば、深刻な事故は起きなかった」としめくくった。
では、当時の東電の経営状況はどうだったか。以下のニュースは前述の津波への対応が検討された時とほぼ重なっている。
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