2017年07月21日
加計学園をめぐる問題を簡単に説明すると、文部科学省が、獣医師が過剰になることを理由に半世紀以上も既存の16大学以外が獣医学部を新設することを認めず、定員を規制していた中で、2007年以降の今治市の度重なる要請に応える形で、通常の行政のルートではなく、国家戦略特区の仕組みの中で4つの条件を満たせば、獣医学部の新設を認めようとしたものである。
その際、獣医学部を新設しようとする加計学園の理事長が安倍総理の友人であったことから、安倍総理の周辺にいた人たちが文部科学省に認可するように圧力をかけたとされ、前文部科学次官がこれによって〝行政が歪(ゆが)められた〟と主張する事態に発展した。
新聞報道を見ると、最初から加計学園の主張を入れる形で議論が進められ、これに抵抗する文部科学省に官邸側から圧力がかけられたのではないかという点が、主たる争点となっているようである。つまり、上のまとめの後段の部分である。スキャンダル的には、前段よりもこちらの方がそそられる。かつて国家公務員だった者としては、批判されているようなことがあり得ないかと聞かれると、ありそうなことのように思えるが、国家戦略特区ワーキンググループの委員が議事録を読めばそのようなことはないことがはっきりわかると断言していることからすると、そうではないのかなとも思える。
たしかに、このような介入が事実であれば、〝文部科学省の人たちが進めてきた行政〟が歪められたということになるのだろう。加計学園問題について議論されていることは、これに尽きるように思われる。
しかし、そもそも獣医学部の新設を認めようとしなかった〝文部科学省の人たちが進めてきた行政〟が歪んだものだったらどうだろうか。
そもそも獣医師が過剰か不足かどうかは、誰が判断するのだろう。
わかりやすいように、キャベツの値段を例にとって話を進めよう。キャベツ一個が50円の時と300円の時、キャベツは過剰なのか不足なのだろうか?
どちらの場合も、過剰でも不足でもない。価格が伸縮・変化することで、市場では常に需要は供給に等しい。これは高校の教科書で習う経済学の基本である。
しかし、どうして過剰とか不足とか言われるのだろうか?
それは、生産者(供給者)の目で見るか、消費者の目で見るかの違いである。キャベツが50円の時には生産者からすれば供給が多すぎる(あるいは需要が少ない)から価格が低いことになる。つまり〝過剰〟である。この時、消費者は安く買えるので文句は言わない。
逆に、300円の時消費者は不足していると文句を言う。消費者にとっては、供給が少ないので価格が高すぎることになる。もちろん高く売れる生産者は不満を言わない。このように価格が高いか低いかは、どちらの立場で評価するかで異なる。しかし、市場からすれば、高かろうが低かろうが、需要と供給を等しくするものが価格である。
この例からわかるように、価格が低下して過剰だと文句を言うのは生産者である。獣医の世界に置き換えると、獣医療サービスの供給者(提供者)は獣医師である。過剰でないようにしてほしい、つまり高い価格を維持してほしいというのは、獣医師の団体だと言うことになる。獣医療サービスの供給が多くなって、その価格(獣医師報酬)が下がれば、畜産農家やペットを飼っている人たちは利益を得る。しかし、そのような利益は、行政では考慮されることはない。
これは獣医だけではない。医師、タクシー、米など日本行政にあまねく見られる特徴的な問題である。
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