日本銀行がいずれ金融政策を変更する可能性はかなり高いとみられる
2017年08月03日
このところ数年の円ドルレートは、主としてアメリカと日本の金融政策の相対的なポジションに左右されてきた。アメリカはリーマン・ショックによる景気後退を受け、2009年から積極的金融緩和を進めてきた。2009年には第一次量的緩和(QE1)、2010年には第二次量的緩和(QE2)、2012年には第三次量的緩和(QE3)を実施したのだった。この間、日本は目立った金融緩和はしておらず、マネタリーベースは100兆円前後で推移したのだった。
こうした日米の金融政策の相対的スタンスによって、円ドルレートはドル安・円高に向かい、2008年には1ドル103.36円(年間の平均レート)だったレートは2009年には1ドル93.57円、2010年には1ドル87.78円、2011年には1ドル79.81円、2012年には1ドル79.79円と急速に円高が進んだのだった(レートすべて年間の平均レート)。
円ドルレートが1ドル80円を切ったのは1995年以来のことだった。1995年はメキシコ危機・アルゼンチン危機等が相次いで、ドル安が進行していたのだった。しかも、ロバート・ルービン財務長官がドル安是政策をとるまでは、USTRのミッキー・カンタ―代表などが中心となって、アメリカの貿易赤字是正のためのドル安政策を推進していたのだった。そうした状況の中で、1995年4月19日、円ドルレートは1ドル80円を切り、戦後の最高値1ドル79.75円を記録したのだった。
その後、ルービン新長官のドル高政策への動きもあって、1995年の4月25日のG7蔵相・中央銀行総裁会議では、共同声明で「ドルの秩序ある反転が望ましい」との言及がなされたのだった。
こうした状況を受け、日米で協力して強烈な為替介入を実施し、1995年9月には1ドル100円台に戻したのだった。当時、筆者は財務省国際金融局長(現国際局長)、アメリカの財務省のローレンス・サマーズ副長官(後に財務長官・現在、バーバード大学教授)と協調して大型の為替介入を執拗に実施した。
2013年に入ると日本銀行総裁に黒田東彦が就任し、異次元金融緩和と呼ばれた積極的金融緩和を実施し、円ドルレートは次第に円安に推移し、2015年には年間平均レートで1ドル121.04円と1ドル120円を突破したのだった(2013年年間平均レートは1ドル97.60円、2014年のそれは1ドル105.94円)。
2015年の末にはアメリカは金融緩和から引き締めに転じ、2016年12月には利上げに踏み切ったのだった。
通常、利上げはドル高要因だとされているのだが、バイ・オン・ルーマーズ・セル・オン・ファクト(うわさで買い、事実で売る)という現象でドル安・円高に動くことが多いのが実情だ。レートはそれまでの予測と実現された政策との差異できまってくることになる訳で、しばしば利上げでドル安という現象が起こってくることになるのだ。
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