もはや抜本的転換をすべき時が来ている
2017年08月15日
安倍首相は支持率回復を目指した内閣改造にあたり、「経済再生」を最優先で進めると記者会見で語り、そのための「アベノミクス」路線をまたもや強調した。だが、日本銀行がデフレ脱却の指標としてきた物価上昇2%の実現を先送りしたばかりであり、脱デフレの約束が看板倒れであることが誰の目にも明らかになっている。アベノミクスはすでに消費期限切れのキャッチフレーズなのだが、それを繰り返すしかないのも政権の行き詰まりの表れといえよう。
アベノミクスが脱デフレを実現できないのは、実質賃金の下落と消費低迷に象徴される総需要の不足が実体経済の低迷を引き起こしているからである。総需要が盛り上がらないのに、金融というカンフル注射や一時的な財政出動だけでデフレ脱却を果たせないでいる現状は、アベノミクスの当然の帰結である。
つまり、金融緩和などで大企業と富裕層を優遇し格差拡大を進めてきたアベノミクスそのものの行き詰まりが露呈しているのであり、それを呪文のように唱えても、事態は打開できない。もはや抜本的転換をすべき時である。
むろん、金融緩和や財政出動を元に戻すだけでは解決策にならない。要は国民生活を底上げすることで新たな消費や投資の需要を創出し、デフレを脱却する経済政策に転換することだ。
具体的には、社会保障や環境・エネルギー、教育といった分野への投資および消費増を軸に総需要を伸ばすことが問われているのだが、それはもはや安倍政権やその亜流ではない政治勢力によって担われるべき政策である。民進党の脱皮によってもそういう路線選択が無理というのであれば、民進党解体・分裂を経てでも別の新しい政党がその課題を担うしかない。
アベノミクスはいわゆる3本の矢、すなわち①大胆な金融緩和②機動的な財政出動③成長率を高める構造改革を売り物にしてきた。実質的に機能したのは①と②だけで、その本質は財政金融政策のタガをはずし、円安誘導によって輸出産業の採算を回復し、大企業の収益好転を図るものであった。
その半面、円安による輸入物価の上昇で家計と輸入産業は苦しみ続けることになった。それに加えて、消費税率を5%から8%に引き上げたのに社会保障はいっこうに充実せず、むしろ国民の負担増とともに生活不安は高まった。
アベノミクスにも成果がなかったわけではない。
輸出産業の収益好転を柱に、失業率や有効求人倍率が改善した。しかし、政府のかけ声とは裏腹に、働く人々の間で格差は拡大し、実質賃金の目減りを補うのに十分な賃上げは実現していない。輸出関連など一部の大企業が潤うだけで、国民経済全体としての浮揚感に乏しいのはそのせいだ。
そもそも、戦後の先進国で初めてとなった日本のデフレは、賃金抑制などによる消費需要の不足で引き起こされた構造的なものとされる。アベノミクスはこの構造を改革できず、金融と財政、すなわち国民のカネで膨張政策をとり、対症療法的に景気拡大をはかっただけである。こうした構造的欠陥からして、アベノミクスは力強い総需要回復をもたらすことができないのである。
株高を経済好転の指標と考える人もいるが、現在の証券市場は日銀と年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による国家主義的買い支えによって維持されているうえに、トランプ米大統領の拡張財政主義的な政策への思惑からニューヨーク株式が活況を続けているおかげで、東京市場の株高が維持されているにすぎない。
こうした日米政府による危ういまでに強引な人為的方策によってつくり出された株高は、かつてグリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長が「根拠なき熱狂」と形容したように、やがてはバブル崩壊を通じて両国と世界に金融恐慌と不況をもたらす引き金となる。国民の税金や中央銀行の資金、さらに年金の原資まで惜しげもなくつぎ込んで、なおかつデフレ脱却を実現できず、次の金融恐慌の危険を増大させているのだから、アベノミクスは総体として失敗したというべきではないか。
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