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日本から「ノーベル賞」は出なくなる?!

求められる大学の「グローバル化」

土堤内昭雄 公益社団法人 日本フィランソロピー協会シニアフェロー

受賞者の多くが「ノーベル賞は出なくなる」と懸念

ノーベル賞を受賞し、ストックホルムのカロリンスカ医科大で記念講演をする大隅良典さん=2016年12月7日
 先週からノーベル賞の発表が続いた。今年は文学賞に長崎生まれのカズオ・イシグロ氏が選ばれた。これまでの日本の受賞者は、日本国籍時の研究成果により受賞した米国籍のふたりを含めて25人にのぼり、2014年からは3年連続で計6人の受賞者が誕生した。1949年の日本人初となる湯川秀樹氏の物理学賞受賞は、戦後復興期の日本に多大な勇気を与えたが、近年では日本経済の停滞からか日本の国際的プレゼンスが低下、日本人は自信を失いつつあるように思える。そのような日本にとって近年のノーベル賞ラッシュは大きな自信と希望の源泉になったと言えるのではないだろうか。

 しかし、近年の自然科学系受賞者の多くが『このままでは日本からノーベル賞受賞者は出なくなる』と警鐘を鳴らしている。その背景には、国立大学の法人化以降、教員の研究時間が減少し研究発表の論文数が低迷していること、大学の科学技術予算の不足により研究サポート体制が不十分なこと、若手研究者の非正規雇用が増えて研究に専念できる環境が整わず若手人材が育っていないことなどがあるという。ノーベル賞の場合、基礎研究の20~30年後の成果が受賞につながることも多く、ユニークな発想力を有する若手研究者の不在は深刻な課題だ。

 先日、安倍首相は『人づくり革命』に2兆円の財源を充てると表明し、幼児教育・保育や大学教育の無償化などが示された。「教育」は未来への投資であり、人生100年時代を迎える日本社会にとってきわめて重要だ。大学教育をだれもが享受できる社会は、国民の知的水準を高め、生産性向上にも寄与するものだ。しかし、同時に世界トップレベルの研究成果を追求する研究活動の支援を怠れば、将来、日本からノーベル賞の受賞者は出なくなるかもしれない。

「底辺」の大きさと「頂点」の高さ

 次期衆議院選挙では消費税増収分の使途をめぐり激しい論戦が繰り広げられるだろう。返済不要な給付型奨学金の充実や授業料の減免など高等教育の支援策は重要ではあるが、高度研究機能の強化を図る科学技術予算の増強等を忘れてはならない。一般国民に受けのよい施策だけに目を奪われずに長期的展望を持つことが重要だ。また、人生100年時代を生きるには就職後の人生の途中段階で改めて高等教育を受け、新たな能力開発を行うリカレント教育の機会を多くの人に保証することも重要だろう。

 超一流のアスリートの誕生にはその競技人口の底辺を広げることが必要であるように、超一流の研究成果を生むためには国民全体の知的水準を高めることが不可欠だ。しかし、底辺を広げれば必ず頂点が高くなるわけではない。今後も、日本のノーベル賞受賞者が輩出されるためには、“ナンバーワン”を目指す科学技術振興策が重要だ。常に頂点を極める施策を講じ、学術分野における「底辺」の大きさと「頂点」の高さのバランスを図ることが肝要ではないだろうか。

減少する日本人の海外留学

 科学技術のグローバル化は著しく、今後も日本がノーベル賞受賞者を輩出するには、日本の大学の国際化は避けて通れない。これまでも日本は飛鳥時代以降、遣隋使や遣唐使を通じて、明治維新でも海外から多くのことを貪欲に学んできた。最近、海外の大学や大学院出身の政治家が少なくない。8月3日に発足した第3次安倍第3次改造内閣の閣僚名簿をみても、閣僚20人のうち5人がアメリカの大学(院)を修了している。出身校をハーバード大学大学院とする者が4人で、東京大学と並んで最多だった。

 しかし、日本人の海外留学状況をみると、2004年の8.3万人をピークに2014年は5.3万人へ4割近く減少し、

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