メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

私の心には希望の火がともっている

選挙には負けたが、リベラル派の多くの市民や政党が覚醒したから

香山リカ 精神科医、立教大学現代心理学部教授

敗北感がなかった選挙

当選を決めた候補者名に花をつける立憲民主党の枝野幸男代表(左)。右は長妻昭代表代行=10月22日、東京都港区当選を決めた候補者名に花をつける立憲民主党の枝野幸男代表(左)。右は長妻昭代表代行=10月22日、東京都港区

 日本の市民は進化している。そう実感した今回の選挙であった。

 結果的には与党の大勝であり、希望の党、日本維新の会もカウントすれば改憲勢力が衆議院の4分の3を占めるという状況になったが、改憲や原発再稼働には反対、格差の拡大を止め福祉や差別解消に力を入れるべき、といういわゆる日本型リベラル派(以下「リベラル派」と表記)の私には、不思議なことに敗北感はない。

 なぜなのか。それは、これまでいくつかの選挙を運動のやや外から見てきた私が懸念していたことが、今回の選挙ではほとんど起きなかったからである。その「懸念」とは、リベラル側の分裂である。

 2014年2月の東京都知事選には16名が立候補したが、実質的には自民党など推薦の舛添要一、民主党(当時)など細川護煕、共産党など推薦の宇都宮健児、三氏の闘いと言われた。

 このときの選挙では、リベラル派市民は「原発ゼロ」を掲げて出馬した細川氏と、脱原発を含め格差の解消などを訴える宇都宮氏との間で分裂し、外部にいた私のところまで「宇都宮氏が出馬を取りやめれば細川氏が勝てるのに」「以前から準備していたのは宇都宮氏のほうだ」といった双方への非難が聞こえてくるほどだった。

 選挙戦後半になり舛添氏優勢が決定的となったとき、私の関心は細川氏や宇都宮氏が敗北することより、むしろ選挙後の市民のあいだの亀裂をどう防ぐか、に移っていた。

 そこで、リベラル市民に人気のある作家の雨宮処凛氏、翻訳家の池田香代子氏と相談し、投票日の2月9日の深夜零時になった瞬間に「TOKYO NO SIDE」というサイトを立ち上げて、「宇都宮派、細川派の垣根を取り払ってまたいっしょにがんばろう」と訴えかけることにした。

 しかし、結果的にその試みは大失敗に終わった。

 サイト開設直後から「細川氏(もしくは宇都宮氏)の出馬が間違いだったのにノーサイドとはずうずうしい」「どうしてこうなったか総括もせずに水に流すことはできない」といった非難が両陣営の市民から押し寄せたのである。

 また翌日2月10日の日本経済新聞に載った「民主は反省、共産『大健闘』 都知事選を総括」と題された記事の以下の部分が、「ノーサイド」にさらに火に油を注いだ。

 「共産党の志位和夫委員長は10日、同党が推薦した宇都宮健児氏と党本部で会談し『大健闘だ』と総括した。宇都宮氏は『元首相連合に勝った。達成感がある』と伝えた。」

 こうなると、いったい誰と誰が闘っていたのか、という話だ。私は「ノーサイド」のサイトに送られてくる怨嗟(えんさ)のような市民からのコメントを読みながら、「日本の市民が多少のことには目をつぶって一致団結し、大きな目的を達成するのはまだ無理なのか」と絶望的な気持ちになったのだ。

分裂、排除、再結集はあったけれど……

 今回の総選挙では3年半前の都知事選とは比べものにならないほどの分裂、排除、再結集といった大きな動き、小さな動きが起きた。

 この2年あまり「野党は共闘」を合言葉に選挙での野党統一候補擁立を進めてきた「市民連合」を中心とする市民運動は、突然の衆議院解散でまだ統一候補も決まらない選挙区もある中、各党の代表に政策協定をやっと届け、受け取ってもらったと思ったら、その直後に実質的な民進党の解党と希望の党への吸収という事態が勃発したのだ。

 おそらく「野党統一候補を」と尽力してきた人たちは、自分たちが裏切られ、運動が無に帰したような虚脱感を味わったであろう。

 しかし、それからいくつかの段階を経て、結果的には立憲民主党が立ち上がってからの動きは速かった。

・・・ログインして読む
(残り:約1950文字/本文:約3467文字)