目指すべきは「寛容」と「共生」の“多様性社会”
2017年11月15日
現在、ヨーロッパではシェンゲン協定により、最初のシェンゲン圏の国で入国手続きをすれば、原則として域内の移動の際のパスポート・チェックはない。国境を越えるのは日本国内の都道府県境を越えるような感じだ。しかし、実際には異なる法律や文化等を有する主権国家間の移動であることから、EUのガバナンスはきわめて複雑であることは想像に難くない。
シェンゲン協定によりEUは域内の国境が事実上なくなる一方で、テロ対策上からはさらに厳密な域外との国境管理が不可欠だ。EUは基本的価値観を共有しているものの、シリアなどから押し寄せる難民に対して加盟国の対応には温度差があり、昨年6月にはイギリスがEU離脱を表明した。スペインのカタルーニャ州では分離・独立を求める住民投票が行われ、北イタリアでも同様の動きが見られるなど、EUは大きく揺らいでいる。
2004年にEUに加盟したチェコは、現在では有名ブランドショップも軒を連ねる欧州の一員だが、プラハには黒ずんだ建物が多く、街全体に旧共産圏時代の薄暗い印象を留めている。1968年「プラハの春」の挫折以降、「ビロード革命」が成功するまでの約20年間、チェコの多くの人々が共産党政権下で個人の自由を奪われる息苦しい暮らしを強いられてきた歴史があるからかもしれない。
チェコはドイツやオーストリアなど周辺国に抑圧されてきた過去がある一方で、自らの文化・アイデンティティーを大切に守ってきた。チェコでマリオネット(人形劇)の文化が盛んな理由は、マリオネットを通じてチェコ語やチェコ文化を守り、潜在的な国民の声を発してきたからだという。
チェコをはじめ中東欧の旧社会主義諸国がEUに加盟して10年以上が経過し、自由を謳歌しているようにもみえるが、その背景には自由を獲得するための長い闘争があった。「プラハの春」がソ連の軍事介入により阻止され、1989年の「ビロード革命」を経てチェコはようやく自由を手にした。多くの民主化運動の舞台となったプラハの街角からは、長年にわたり自由を求めてきたチェコの人々の声が聞こえてくるようだ。
ポーランドもチェコと同様、現在ではEUの一員として西側諸国と同様のライフスタイルが定着しているが、旧社会主義国としての共通した空気がある。それは第2次世界大戦後の共産党独裁体制から、今日の民主主義を獲得した国民の強い意思の表出かもしれない。
ポーランドは国民の9割近くがカトリック教徒で、街のいたるところに教会があり、敬虔なクリスチャンの国の雰囲気が漂う。第264代ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身の455年ぶりの非イタリア人教皇で、在位は1978~2005年と四半世紀を超えている。多くの信者から敬愛され、民主化運動の精神的支柱にもなり、国内のあちこちに教皇の銅像やモニュメントがある。
ナチス・ドイツに徹底的に破壊されたワルシャワの街は、今は市民たちの手により忠実にもとの姿に復元され、
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