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麻生発言で浮上、セクハラ法の意義

「職場の暴力」防止目指すILO条約を

竹信三恵子 ジャーナリスト、和光大学名誉教授

閣議後、記者の質問に答える麻生太郎財務相=5月8日、首相官邸
 財務省の福田淳一・前次官によるテレビ朝日社員へのセクシュアルハラスメント問題で、麻生太郎財務相が5月4日、「セクハラ罪っていう罪はない」として調査を打ち切る考えを示した。ここから浮かび上がるのは、「セクハラは職場の暴力」という基本認識の欠如と、法制度の強化なしでは改善は難しいと思わせる日本社会の現実だ。今月末からはILO総会で「仕事の世界における暴力とハラスメント」条約をめぐる討議が始まる。この条約づくりを支援することを通じて「暴力」としてのセクハラ観を広げ、国内法の整備へと声を上げていく必要が見えてきた。

相次ぐ政権内からの二次加害

 性暴力については、被害者に対して「被害者側に落ち度があった」などと非難を浴びせることで追い打ちをかける「二次加害」が大きな問題とされてきた。今回の経緯を振り返ると、この二次加害とも思える発言が、セクハラを防止すべき立場の政権側から相次いで浴びせられてきた状況が見えてくる。

 発端は、4月12日発売の「週刊新潮」(新潮社)での福田前次官の女性記者へのセクハラ疑惑報道だが、19日発売の同誌はさらに、監督責任がある麻生財務相が、12日に開かれた自派パーティー後の懇親会で「(セクハラが嫌なら)次官担当を男性記者に代えればいい」と発言したことを報じた。加えて17日の記者会見で麻生氏は、「被害を受けた記者が名乗り出ないと判断できない」と発言、記者の「セクハラ被害者は名乗り出にくい」という指摘に、「福田の人権は“なし”ってわけですか」と答えたとされる。

 続く24日の閣議後記者会見で麻生氏は福田氏の辞任を承認したことを公表したが、セクハラ疑惑について「はめられて訴えられているんじゃないかとか、ご意見はいっぱいある」ともコメントした。いずれも、被害者の側の「落ち度」を示唆する発言だ。

 麻生氏だけではない。自民党の下村博文元文部科学相は、福田氏の発言が録音されて週刊誌に提供されたことについて4月22日の講演で「ある意味犯罪」と発言したと報じられ、23日、これを認めて撤回した。また、抗議した野党の女性議員らについて、自民党の長尾敬衆院議員が22日、「セクハラとは縁遠い方々」などとするツイッターの書き込みについて削除して謝罪している。

 これらの二次加害発言が連発される背景には、セクハラが何なのかを明確に規定せず、「恋愛」「冗談」と扱われることを許容しやすくしている日本の法制度がある。

不十分なセクハラ規制

 日本でも、男女雇用機会均等法11条で、セクハラを「職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されること」とし、事業主に対し、就業規則などでセクハラを許さない姿勢を明確化すること、その周知・啓発を図ること、従業員研修、講習の実施、相談・苦情窓口の明確化、加害者処分や配置転換などの迅速で適切な対応、相談者や行為者などのプライバシーの保護、などの「雇用管理上必要な措置」を義務付けている。是正指導に応じない場合の企業名公表の対象になる制度も設けている。

 だが、これらは防止へ向けた事業主に対する義務づけであって、セクハラそのものを禁止する規定ではない。セクハラについての明確な定義もないため、行政がセクハラ被害を認定することも難しい。

 被害者に訴訟や相談の道はあるが、訴訟は被害にあって疲弊している当事者にはハードルが高い。相談窓口は企業による設置であって、公的な第三者機関の調査を義務付けてはいない。労働局の調停制度はあるものの、被害者と加害者の合意が前提で強制力はない。権力のある側がその力を使って嫌がらせをするというセクハラの特徴を考えると、これでは被害者は救われず、麻生発言のように「罪ではない」と居直られると踏み込みが難しい。

 4月27日付「朝日新聞」によれば、2016年度に全国の労働局に寄せられたセクハラ相談は約7500件で、前年度より約2000件減った。セクハラ相談を受けているユニオンなどでは「相談しても解決しないことが知られるようになって減った」とみているという。労働政策研究・研修機構の内藤忍・副主任研究員は、「セクハラの定義を明確にして、被害者が迅速に、適切に救済されるよう法的判断ができる救済システムが必要」と話す。

ILO条約の重要性

 こうした日本の状況については、国際社会からも是正が求められている。国連の女性差別撤廃委員会は、各国の性差別撤廃の進捗(しんちょく)度を定期的に審査しているが、2016年の日本についての総括所見では、セクシュアルハラスメントに対して十分な禁止や適切な制裁がないこと、ILOの中核的条約である「雇用及び職業についての差別待遇に関するILO第111号条約」を批准していないことに懸念を表明し、次のことを強く要請している。

・職場におけるセクシュアルハラスメントを抑止するために、禁止と適切な制裁を規定する法令を制定すること、また妊娠及び母であることを理由とするものも含め、雇用における差別があった場合の女性の司法へのアクセスを確保すること。
・労働法及びセクシュアルハラスメントに関する行動規範の遵守を確保することを目的とした労働監督を定期的に行うこと。
参照PDF

 ILOによると、調査対象の80カ国中、職場の暴力とハラスメントについてのなんらかの規制がない国は20カ国とされ、日本はその一つに分類されている(参照PDF)。麻生氏の言う「セクハラ罪って罪はない国」なのだ。

 こうした職場での暴力を改善するため、労組の国際組織「国際労働組合総連合(ITUC)」は、セクハラのほか、パワハラ、マタハラなども含め「ジェンダーに基づく暴力」として国際条約による対応を求めてきた。ILOはそうした要請に応え、昨年「仕事の世界における男女に対する暴力とハラスメント」についての報告書をまとめ、今月28日からスイス・ジュネーブで始まる今年のILO総会で、条約作りへ向けた議論が始まる。

 議論へ向けたたたき台では、狭い意味での「労働者」にとどまらず、実習生や一時解雇・停職中の働き手、ボランティア、求職者も対象とし、公共空間だけでなく私的な空間での暴力も含む。また、加害者・被害者は雇う側と雇われる側だけでなく、クライアントや顧客も対象になりうる。今回起きた財務省高官のような取材対象者と記者との間のハラスメントにも対応できる枠組みだ。

 条約加盟国には、暴力とハラスメントに関する国内法令を監視し、強制するための適切な措置を取ることや制裁も求められており、今回の事件で指摘された日本のセクハラ規制の弱さや「セクハラ罪はない」事態の改善にも役立つ。

 また、暴力やハラスメントに対抗措置をとった結果、特定の業務は職種に参加することを制限・排除されないようにすべきだという項目もあり、「いやなら男性記者に代わればいい」という発言にみられた被害者排除の姿勢に有効な歯止めにもなりうる。

 その意味で、条約をめぐる論議を活発化することは、セクハラの被害とは何か、どのような対応が被害者の救済に有効かを、日本社会に浸透させることに大きな効果を持つ。

 ILO総会には、各国の政府、使用者、労働側の3者が参加するが、事前のアンケートでは日本は政府と使用者が条約の採択には後ろ向きで、労働側が積極的な回答をしている。その議論に注目し、国内で条約作りを後押ししていく声を広げていくことは、日本のセクハラ問題の解決のための絶好のチャンスとなるはずだ。

「過剰反応」という女子学生

 今回のセクハラ事件について勤め先の大学の講義で紹介したとき、受講していた女子学生の一人が感想文に「セクハラは過剰反応」と書いてきた。連合の2017年の調査では、5割を超える人々が職場にハラスメントがあると回答、うちセクハラとパワハラが多いとされている。2018年4月30日付「日本経済新聞」の「働く女性1000人 セクハラ緊急調査」でも、セクハラを受けた女性は全体の42.5%。その際の対応(複数回答)を訪ねると、「我慢した」は、相手が社内の場合が61.3%、相手が社外の場合は67.7%にのぼる。被害者になる確率がこれだけ高いのに、当事者となりうる層が「過剰反応」と受け取っていることに、衝撃を受けた。

 セクハラに抗議することにマイナスイメージを抱いていると、被害を受けた際に自身を責め、立ち直りが難しくなって、その後の職業生活に支障が出る恐れもある。次の講義で、セクハラによって重いうつにかかって働けなくなり、生活保護を受けたという実例があることを紹介し、セクハラは暴力であり、「職場恋愛」でも「過剰反応」でもないことを説明した。

 こうした誤解は、今回の事件のように「悪いのは被害者」と言わんばかりの発言が、社会のリーダーと目される人々や主要な情報媒体を通じて蔓延(まんえん)していることが背景にある。「女性活躍政策」を推進するなら、政府はまず、「働く場での深刻な暴力」としてのセクハラを自覚して周知させ、条約採択や均等法の改定などの対応策を強化することが不可欠だ。

 また、首相以下、政府要人へのセクハラ研修と、今回の事件の徹底した究明が「女性活躍」への政府の本気度を示す試金石であることも、併せて強調しておきたい。