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②政界激動を見た石原信雄・元官房副長官

平成の幕開けも、消費税導入も、竹下内閣だった。「大物副長官」が振り返る

古屋聡一  朝日新聞経済部記者

 

拡大大喪の礼委員会。左から藤森昭一宮内庁長官、小沢一郎官房副長官、竹下登首相、小渕恵三官房長官、味村治内閣法制局長官、そして右手前が石原信雄官房副長官=1989年1月8日、首相官邸

7人の首相に仕えた官僚トップ

 「平成の財政」を語るシリーズの第2弾は、石原信雄さん。永田町が政界再編で揺れた1987年~1995年、竹下内閣から村山内閣まで7つの内閣に官僚トップの官房副長官として仕えた。日本の政治の大激動期を知る生き字引である。

 石原さんを官房副長官に登用した竹下内閣の「偉業」として語り継がれるのが、政界のタブーだった消費税の導入だ。「平成」が始まったのも竹下内閣である。

 消費税にかかわると、ろくなことにならない――。多くの政治家は、そう思ってきた。平成の歴史を振り返ると、消費税に真正面から向き合おうとした内閣は次々に倒れている。竹下内閣も平成元年(1889年)4月の消費税導入から2カ月後にリクルート事件の衝撃も重なり、退陣した。

 最近では、民主党の野田内閣が消費税を10%に引き上げる自公民の「3党合意」をまとめて消費増税法案を成立させた後に衆院選に惨敗し、民主党は下野した。一方、自民党が政権復帰した後、安倍内閣は消費増税を2回延期し、5年以上に及ぶ長期政権を実現させている。

 消費税が内閣の命運を左右する政策であることは明白だ。それでも、竹下内閣が消費税導入にこだわったのはなぜか。日本政界の激動期に国家権力中枢を担ったかつての大物政治家たちは、消費税についてどう考えていたのか。

 7人の首相を官僚トップとして首相官邸の内側から支えてきた石原さんは「平成の財政」を語るには欠かせない人物である。

拡大石原信雄さん。自治省(現総務省)事務次官を経て、1987年~1995年まで7つの内閣で官房副長官を務めた=2018年4月4日

「悪い政治家の烙印を押されるなあ」と自嘲した竹下首相

 竹下内閣での消費税導入は大きな決断でした。執務室で竹下登首相と話をしたことを覚えています。

 竹下さんは「大衆課税をやった悪い政治家の烙印(らくいん)を押されるだろうなあ」と自嘲気味に語っていました。私は「今は評判は悪いですが、将来は『日本の財政にとって必要だった。あのときに竹下内閣で決断したから、その後が続いている』と感謝されますよ」と答えました。

 大蔵相の経験が長かった竹下さんは、財政への理解が深かった。消費税導入は、だれかがやらないといけないが、導入すれば不人気になる――。竹下さんには日本の財政の基礎を固めるために、捨て石になる覚悟がありました。政権の延命よりも、財政再建を選びました。

 「リフレ派」と呼ばれる人たちは「成長戦略で経済の規模を大きくすれば税収は増える。だから、増税はしなくてもいい」と主張します。それは国民が受け入れやすい主張です。

 しかし、行政の立場から財政を見てきましたが、赤字公債の発行を減らし、消費増税をしなければ、財政の健全性は取り戻せません。

 歴代の政権を見ると、概して選挙が近づくと、厳しい負担を求める話を避けがちになります。目先の話で甘い話をしていたら選挙には良いのかもしれませんが、それでは財政は持ちません。政治家も行政も消費増税について国民に理解をしてもらう努力をする必要があったと思います。

 マスメディアも消費増税を論じる際は「行政改革が不十分だ」という論調になりがちでした。その結果、社会の空気は「政治家や役人が努力していないのではないか」という結論になる。たとえ、少子高齢化などの問題があっても、国民が負担増を受け入れる心境にはなりにくい側面がありました。

 来年秋に消費税率を10%に引き上げる予定ですが、付加価値税が20%前後の欧州各国に比べると、まだ低い水準にあります。 ・・・ログインして読む
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筆者

古屋聡一

古屋聡一 (ふるや・そういち) 朝日新聞経済部記者

1994年朝日新聞社入社。デジタル編集部、オピニオン編集部などを経て、経済部記者。左遷をめぐるビジネスパーソンの様々な人生模様を追った連載企画「左遷をたどって」など、組織における個人の生き方について考えるテーマを中心に取材活動をしている。

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