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「世界人口が増え、食料危機が起きる」のウソ

世界中の農業専門家が作り上げたフェイクニュースの実像に迫る

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

拡大干上がった水田にしゃがみこむ農家の夫妻=ベトナム南部ベンチェ省、2016年3月30日
 

農業専門家たちが振りまく「世界的食料危機」

 世界各地で開催される農業や食料の国際会議で、決まって言われることがある。

 2050年には世界の人口は現在の74億人から96億人に約3割増加する。さらに経済発展で一人あたりのGDPが増加し、都市化も進展するので、穀物をエサとして生産される肉や乳製品など畜産物への需要が高まる。これは穀物の需要を大きく増加させる。総じてみると、世界の食料生産を60%程度増加しなければならない――というものだ。

 このような見解を広めたのはFAO(国連食糧農業機関)であるが、日本の農林水産省も同じような見通しを公表している。日本だけでなく世界中の専門家たちが同じようなことを言うので、私もそうなのかなと思っていた。

 今年オランダで開かれた会議で、このような意見を紹介した大学教授に、素朴な疑問をぶつけてみた。

「あなたは、発表の中で世界の人口が今後35年間で74億人から96億人へ22億人増加すると言ったが、過去35年間に人口はそれを上回る30億人も増加している。過去に対応できたことが、なぜ今後もできないのか?さらに、2050年に突然人口が爆発するのではない。人口が段階的に増えていって食料危機が起きるのであれば、穀物価格も今から徐々に上昇を続けているはずである。ところが、穀物の実質価格は過去1世紀半ずっと低下している。これをどう説明するのか?」

 彼は答えられなかった。答えられないはずである。これは、FAOや農林水産省など世界中の農業関係者によって作り上げられたフェイクニュースなのだ。

拡大1945年11月、終戦後の福岡・博多の闇市

食料危機と価格高騰は「短期的」に起きる

 食料危機が起こるとどうなるのか?

 日本で起きた大きな食料危機は1918年の米騒動と終戦後の食糧難だ。共通しているのは、米や食料品価格の高騰である。供給が需要を満たさないので、価格が上昇した。輸出の急増、生産の大幅減少という一時的、突発的な事由による出来事であった。

 世界で起きた食料危機としては、1973年、2008年の穀物価格高騰が挙げられる。これも、世界の穀物生産の減少やソ連の大量穀物買い付け、アメリカの政策変更によるトウモロコシからのエタノール生産の増加という一時的な事由によるものであった。

 これらの食料危機は、いつもは穀物や食料品の価格が低いのに、天候不順などの何らかの突発的な理由で需給のバランスが崩れ、価格が急騰するというものである。これは、槍のように突出することから、”price pike”(pikeは「槍」の意味)と呼ばれている。

農業専門家が叫ぶのは「恒常的」な食料危機

 これに対して、2050年にかけて生じると言われる食料危機は、恒常的に供給が需要の増加に追い付かないという構造的な理由から、価格が上昇していくというものである。これまでの食料危機が一時的、一過性のものであったことに比べると、恒常的なものである。

 2008年には、米の輸入が減少したフィリピンでは、配給を受けるために多くの人が行列を作った。このような事態が、毎年続くというわけだ。

 このとき、穀物や食料品の価格は一時だけ高くなるpikeではなく、恒常的に高くなる。この説が本当なら、人口や所得の増加は2050年に突然起こるのではなく徐々に増えていくのだから、穀物や食料品の価格は2050年の高い水準に向けて、今から上昇しているはずである。

 ところが、事実は逆だ。

 下のグラフ1は、アメリカ農務省作成による、物価修正をした、トウモロコシ(Corn)、小麦(Wheat)、大豆(Soybeans)の過去約100年間の国際価格の推移である(トウモロコシの価格が1.5倍になったとしても、一般的な物価水準が2倍になっていれば、トウモロコシの実質的な価格はむしろ下がっている。物価修正というのは、インフレやデフレという要素を除いて実質的な価格を見ようというものである)。一時的なpikeはあるものの、これらの価格が傾向的に下がっていることは間違いない。この間の人口の増加は4倍を超える。これこそ人口爆発と呼んでよいのに、恒常的な食料危機は起きていない。

拡大グラフ1

 次のグラフ2は、トウモロコシ、米、小麦について、1960年を100とした国際価格(物価修正をした実質価格)の推移である。1985年ころから2005年ころの20年間は1960年の半分くらいの価格水準であり、それ以降も1960年を上回るのは例外的な年だけである。穀物価格は長期に低位安定していると判断すべきであろう。長期的に起こると言われる食料危機の匂いすら感じない。

拡大グラフ2

人口は2.4倍、穀物生産は3.4倍

 理由は簡単である。食料供給の増加が人口や所得による需要の増加を上回っているからである。

 次のグラフ3は、1961年の数値を100とした世界の人口、米・小麦の生産量の推移である。人口は2.4倍だが、米、小麦とも穀物生産は3.4倍である。このような穀物生産の増加が、穀物価格が低位にある理由である。

拡大グラフ3

 食料危機を煽る人たちは、世界の農地面積の増加が期待できない中で、単位面積当たりの収量の増加が鈍化しているので、農地面積に単位面積当たりの収量を乗じた世界の穀物生産の伸びも期待できないと主張してきた。

 しかし、上のグラフからは、そのような傾向は見当たらないし、それが本当であれば、穀物価格にすでに反映されているはずであるが、そうではない。むしろ、ICTやAI、バイオテクノロジーなどによって、単位面積当たりの収量はこれまで以上に増加する可能性がある。

 さらに、世界には、ブラジルなど農地面積の大幅な増加を期待できる地域がある。日本の農地は450万ヘクタールに過ぎないのに、ブラジルではセラードと言われるサバンナ地域(アマゾンではない)だけで1億ヘクタールほどの利用可能な農地があるという。

 2008年川島博之・東大准教授がこのような見解を発表した時、いくら農地があってもそこから港湾などへの輸送インフラが整備されなければ、食料供給は増えないのではないかと考えていたが、近年ブラジルではインフラが急速に整備されてきている。

拡大地平線まで続く、三井物産出資の大豆畑=2008年、ブラジル・バイーア州

食料危機説の本音

 食料危機が起きる可能性は少ないのに、なぜFAOや農林水産省などは食料危機を煽るのだろうか?

 食料危機で最も利益を得るのは農家である。餓死者も出た戦後の食糧難時代、農家はヤミ市場に農作物を売って大きな利益を得た。飢えに苦しんだ都市生活者は農家の庭先に出かけて、高飛車な態度をとる農家から、貴重な着物と交換に食料を貰い受けた。着るものが箪笥からだんだんタケノコの皮を剥ぐようになくなっていくことから、”タケノコ生活”と呼ばれた。インフレで減価する円よりも農産物の方が、はるかに購買力があるという不思議な時代だった。

 農家にとっては一時の繁栄だったが、この時の農家の対応を今も根に持っている人は少なくない。食い物の恨みは消えない。ちなみに、輸入がないので、このときの食料自給率は100%である(今は38%)。

 これからも分るように、食料危機への対応や食料安全保障は本来、消費者が主張することであって、農家や農業界が主張することではない。これらの目的のために食料の安定供給という義務を課されるのは農家である。終戦時のように、増産や政府への供出という不利益処分を強制されるかもしれない。

 食料危機の際には政府によって最も不利益な扱いを受けるはずの農業界が、最も声高に食料危機への対応を求める。このような不思議なことがなぜ起きるのだろうか?

 理由は単純である。日本の農業界だけでなく、FAOに代表される世界の農業界にとって、食料危機を叫べば、生産を増やすべきだということになり、農業保護を目的とした彼らの組織への予算の増加が期待できるからだ。 ・・・続きを読む
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筆者

山下一仁

山下一仁(やました・かずひと) キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県笠岡市生まれ。77年東京大学法学部卒業、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員。10年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。「フードセキュリティ」「農協の大罪」「農業ビッグバンの経済学」「企業の知恵が農業革新に挑む」「亡国農政の終焉」など著書多数。

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