世界から称賛される高福祉・高負担の「北欧モデル」にほころびはないのか
2018年07月29日
国民の税負担は大きくても、教育や福祉のサービスが充実して幸福度が高い北欧の福祉国家。「高福祉・高負担・高幸福度」の姿は北欧モデルとも称され、世界から注目を集めてきた。
一方、日本は負担を抑えた小さな政府をめざし、財政規律と福祉の充実の双方を掲げるものの、かけ声先行の感が強い。
けれども、北欧も日本も、高齢化と少子化が進み、ロボットやAI(人工知能)の普及で人々の暮らしや働き方が急速に移りゆく時代に生きる点に、変わりはない。
実は北欧も壁にぶつかっているのではないか。そんな疑問を胸に、初夏の北欧へ飛んだ。
今年の大学入試センター試験で、作品の舞台はどこかを問う出題が大きな話題になった「ムーミン」。フィンランドの首都ヘルシンキから車で2時間ほど、タンペレ市にあるムーミン美術館(日本語サイト)には、訪れる外国人の中でも日本人の姿がひときわ目立つという。
案内してくれた学芸担当員のミンナ・ホンカサロさんは、「高福祉」の取材で訪ねたことを知ると、「ムーミンのお話は、互いに思い合い、いたわり合う、ある意味フィンランドの社会保障制度が反映されたものですよ」と話してくれた。
フィンランドは、失業や子育てのときなどの手厚い社会保障制度で知られ、国連の世界幸福度報告書の2018年版で世界1位になった高福祉国家だ。それでも、新たな課題の解決へ向けて、2017年1月から国を挙げてのある社会実験が続いている。
政府が最低限の生活費を保障する「ベーシックインカム(BI)」と呼ばれる仕組みを入れ、失業者から2千人を選び、月560ユーロ(約7万3千円)を支給している。
実験は、2年の期限である今年末で終えると決まっている。制度設計を担った社会保険庁平等社会計画担当部長のオッリ・カンガスさんは「実験できていること自体が、成功だと思っています」とさらりと話した。
社会保険庁は、建築家アルヴァ・アアルトが1950年代に建てた威厳のあるビルにあった。
入ってすぐの廊下は、白黒を基調とした品格のある北欧らしいデザイン。半世紀以上の年月がたちながら、時代の先をいく新しさを感じる。
手厚い社会保障も「すべての人々が共通かつ平等の権利を持つという、普遍主義の原理」に基づいて歴史を重ねてきた制度だ。
ただ、高齢化と少子化による若年労働人口の減少が見過ごせなくなっている。実験は「高い就業率を保っていかないと、すべての人に平等の社会保障制度は維持できない」(カンガス氏)との、時代の先を見据えた危機感から生まれた。
デジタル化やAIの普及で、職を失うことは珍しくなくなった。失業手当をもらい続けるために働こうとしなかったり、もう働くことをあきらめたりする人々の背中を、どうやって押せば働く場へ送り出すことができるのか。
実験は、所得の低い人たちへの支援策ではない。暮らしに必要な最低限の収入が安定的にあれば、仕事をみつけようというゆとりが出るだろう、という仕掛けだ。
実験にかける予算は2千万ユーロ(約26億円)で、終了後に検証をする。社会保険担当相のピルッコ・マッティラさんは、フィンランドの代表的なデザインブランド、マリメッコの花柄ワンピース姿で、意義をこう主張した。
「予算には限りがあり、予定した期間以上には続けられません。でも、政治が合意して実験が認められたことは、新しいスタートです。何十年も行われてきた社会保障がだんだん複雑になり、難しくて申請すらあきらめる状況を抜本改革しようという発想は、次の政権も引き継いでくれると思いますし、国民も関心を持っています」
実験の後の対応は、来年の総選挙の国民の選択に託す、という。対象に選ばれた失業者は、「失業中でも特に環境が悪く、最低水準の方たち」との説明もあった。
ところが、会ってみた2人の失業者は、そうは見えなかった。
「BIは高福祉の新しい仕組みの模索で、子育て支援と同じように、すべての人に与えられた権利、平等のサービスのはずです。だれもが明日病気になり、失業するかもしれません。いま所得が多い人にも言えることです」
以前は失業手当として月780ユーロを受けていたが、ここから税金を引かれていた。いま受け取る560ユーロは無税なので、講演などの仕事も安心してできるという。
今回会った2人は、日本記者クラブとフィンランド外務省を通じて紹介された人たちで、2千人のごく一部かもしれない。他の多くの人たちは、マッテラ大臣が言う「特に環境が悪い」人たちなのだろう。でも、日本であれば、こうした例外にも見える人も対象と聞けば、「予算のばらまきだ、けしからん」と、すぐに集中砲火を浴びそうだ。
経済団体・フィンランド産業連盟の首席政策顧問を務めるベサ・ランタハルバリさんは「まずは成功するか、失敗するのか、科学的な証拠を集めて、その後どうするかを話し合う発想は支持しました。ですが、いまは非常にがっかりしています」と言う。実験は「すでにある失業手当に準じるもので、本来の目的からすれば、失業以外の条件の人、学生や障害者、自営業者などいろいろな人を入れるべきでした。また、住宅など他の手当も受けているので、真の最低保障とは言えません。他のどの国もBIに取り組まないのは、偶然でしょうか」と現状には手厳しい。
同じ高福祉国家で、海をはさんだ隣国のスウェーデンでも意見を聞いたが、冷たい見方が少なくなかった。スイスは2016年6月のBI導入の是非をめぐる国民投票で、7割以上が反対した。
人口550万人のフィンランド。日本ではなじみにくそうな実験が始まったのは、なぜなのか。首相府で実験の分析を担う上級専門官で、研究機関出身のマルクス・カネルバさんは、こう答えた。
「まずはcourage(勇気)を持って、いろいろな経験をしてみることです。直感だけでは間違うことがあるかもしれませんから、実験を通して経験を積む。仮に政治家にとっては失敗に終わっても、2千人を対象に学ぶ機会が持てたのです。AIなどが与える環境の変化、労働市場の変化に対応していくには、将来どう変えていくべきかを考え、いまから準備する必要があります。何もせずに様子をみているだけで、危機が来てから迫られて対応しても、機能的な制度にはなりません」
次の時代を見据え、「高福祉」の進化したモデルの模索を始めている。サントリー創業者の鳥井信治郎が言った「やってみなはれ」ではないが、勇気を持って踏み出さなければ人々の平等の権利は守れない、という開拓者精神が、国全体に浸透しているのかもしれない。
次回は北欧モデルの「受益と負担のバランス」に迫ります。「高負担でも幸せ」は本当なのでしょうか。世界から驚かれる「所得の情報公開システム」を探りに税務署に行ってきました。近く公開です。
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