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ムーミンの国が挑むベーシックインカム

世界から称賛される高福祉・高負担の「北欧モデル」にほころびはないのか

伊藤裕香子  朝日新聞論説委員

 社会保険庁は、建築家アルヴァ・アアルトが1950年代に建てた威厳のあるビルにあった。

 入ってすぐの廊下は、白黒を基調とした品格のある北欧らしいデザイン。半世紀以上の年月がたちながら、時代の先をいく新しさを感じる。

 手厚い社会保障も「すべての人々が共通かつ平等の権利を持つという、普遍主義の原理」に基づいて歴史を重ねてきた制度だ。

 ただ、高齢化と少子化による若年労働人口の減少が見過ごせなくなっている。実験は「高い就業率を保っていかないと、すべての人に平等の社会保障制度は維持できない」(カンガス氏)との、時代の先を見据えた危機感から生まれた。

 デジタル化やAIの普及で、職を失うことは珍しくなくなった。失業手当をもらい続けるために働こうとしなかったり、もう働くことをあきらめたりする人々の背中を、どうやって押せば働く場へ送り出すことができるのか。

 実験は、所得の低い人たちへの支援策ではない。暮らしに必要な最低限の収入が安定的にあれば、仕事をみつけようというゆとりが出るだろう、という仕掛けだ。

社会実験の評価は総選挙で

拡大ピルッコ・マッテラ社会保険担当相は、BIについて「前向きに自分の人生を考える機会を与えている」と話した
 格差の解消や労働力の確保とともに、本格的に制度になった場合は、様々な手当が追加されて複雑になってしまった制度をわかりやすく一本化して、行政コストを減らす効果も期待されている。

 実験にかける予算は2千万ユーロ(約26億円)で、終了後に検証をする。社会保険担当相のピルッコ・マッティラさんは、フィンランドの代表的なデザインブランド、マリメッコの花柄ワンピース姿で、意義をこう主張した。

「予算には限りがあり、予定した期間以上には続けられません。でも、政治が合意して実験が認められたことは、新しいスタートです。何十年も行われてきた社会保障がだんだん複雑になり、難しくて申請すらあきらめる状況を抜本改革しようという発想は、次の政権も引き継いでくれると思いますし、国民も関心を持っています」

 実験の後の対応は、来年の総選挙の国民の選択に託す、という。対象に選ばれた失業者は、「失業中でも特に環境が悪く、最低水準の方たち」との説明もあった。

 ところが、会ってみた2人の失業者は、そうは見えなかった。

「宝くじが当たったみたい」

拡大ベーシックインカム(BI)を受けているジャーナリストのトーマス・ムラヤさん。自らもBIの対象者を取材し、国の社会保障のあるべき姿を考えている
 ミカ・ルースネンさん(47)は、IT企業で月2000ユーロの仕事にサインをした1週間後に、「宝くじが当たったみたい」にBIの支給の通知が来た。月1900ユーロの家賃を払い、「本当の貧困までは体験していない」と話すジャーナリストのトーマス・ムラヤさん(45)も、2千人の1人。通知には「拒否権はありません」と書かれていた。

「BIは高福祉の新しい仕組みの模索で、子育て支援と同じように、すべての人に与えられた権利、平等のサービスのはずです。だれもが明日病気になり、失業するかもしれません。いま所得が多い人にも言えることです」

 以前は失業手当として月780ユーロを受けていたが、ここから税金を引かれていた。いま受け取る560ユーロは無税なので、講演などの仕事も安心してできるという。

 今回会った2人は、日本記者クラブとフィンランド外務省を通じて紹介された人たちで、2千人のごく一部かもしれない。他の多くの人たちは、マッテラ大臣が言う「特に環境が悪い」人たちなのだろう。でも、日本であれば、こうした例外にも見える人も対象と聞けば、「予算のばらまきだ、けしからん」と、すぐに集中砲火を浴びそうだ。

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筆者

伊藤裕香子

伊藤裕香子 (いとう・ゆかこ) 朝日新聞論説委員

1995年朝日新聞社に入社。静岡支局、盛岡支局、経済部、オピニオン編集部などを経て、2018年7月から論説委員。著書に「消費税日記 検証増税786日の攻防」。北欧では取材の合間にレンガづくりの教会を回り、その美しさに魅了された。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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